分断の時代に放つ、ケン・ローチ渾身の名作映画の中の子ども・家族Vol.64『オールド・オーク』文/水谷美紀

© Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films
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かつては炭鉱で栄えたイングランド北東部の村。住人の多くは戦争から逃れて来たシリア難民に憎しみと排斥の感情を募らせる。そんな中、村に唯一残ったパブのオーナーは難民の女性と友人になり……。『映画の中の子ども・家族』Vol.64は今を生きるすべての人必見、名匠ケン・ローチの新作にして最後の作品『オールド・オーク』を紹介します。

他人事ではない差別と憎悪

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起こるはずがないと高をくくっていた戦争が立て続けに勃発し、私利私欲に囚われた為政者によって多くの命が奪われ、暮らしは弱き者を苦しめる。有史以来、幾度となく繰り返されてきた愚行の渦に再び突き落とされた今、分断と憎しみに飲み込まれそうな人類に向けて放たれたひとつの矢。それがイギリスの至宝にして世界の名匠、ケン・ローチ監督の最新作『オールド・オーク』だ。

飾らず、誇張せず、一貫して労働者の立場から、厳しい環境で生きる人々の苦悩や闘争を描き続けてきたケン・ローチ。第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、今年90歳を迎える監督が「最後の作品」と語っているのが本作であり、『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)『家族を想うとき』(2019)に続く“イギリス北東部3部作”の最終章だ。

デビュー作『夜空に星のあるように』(1967)以降、60年近くになるケン・ローチのキャリアにおいて、今以上に世界中のすべての人に彼の作品が必要とされる時代はないだろう。本作には住む国や人種、生活レベルは違っても、必ず誰もが見過ごせない問題が描かれている。

難民家族と出会った、家族を失った男

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舞台はイギリス北東部にある、かつては炭鉱で栄えた村。石炭産業が廃れて約40年、新しい基幹産業が生まれることはなく、住人の多くはずっと貧困に悩まされている。さらにシリア難民の受け入れ先に指定されたことで住民の不満は高まり、ストレスの矛先は何の罪もない難民の人々に向けられている。

そんな村に残った唯一のパブが、本作の主人公であるTJが経営する『オールド・オーク』だ。幼馴染みでもある親友や長年の知り合いなどわずかな常連客によって店はなんとか持ちこたえているものの、かつては心を通わせていた彼らは軒並みレイシストになっており、店に来てはシリア難民に対する聞くに耐えない罵詈雑言を吐く始末。店の生命線である彼らに対し、口を挟むことなく日々をやり過ごしていたTJだったが、難民の女性ヤラと知り合ったことで変化が訪れる。

労働組合の活動に入れ込み過ぎて妻子に去られて以降、無気力に暮らす孤独なTJと、生死のわからぬ父親を案じながら、母親と弟妹を連れてイギリスにやって来たヤラ。カメラの修理を通してヤラとの間に友情が芽生えたTJは、ヤラと一緒に店の空きスペースを使って困窮した人々のための食堂を開こうと動き出す。ところがそのことが友人たちの激しい怒りを買ってしまう。

1984年。サッチャー政権は約2万人もの失職者を出す不採算炭鉱の閉鎖計画を発表し、これに反対した労働組合によって戦後最大のストライキが勃発する。だが政府はこれを鎮圧、労働組合の力は急激に弱まり、 2015年には200以上もあった炭鉱もすべて消滅した。

この一連の出来事は日本でも人気のイギリス映画『ブラス!』(1994)や『リトル・ダンサー』(2000)などでもたびたび描かれている。特にバレエダンサーをめざす少年を描いた名作『リトル・ダンサー』はまさに1984年が舞台で、主人公の父と兄は炭鉱で働いておりストライキにも参加している。本作の主人公TJやその仲間たちは、この兄とほぼ同世代と思われる。仕事も誇りも奪われ、ずっと貧困に苦しめられてきた彼らにとって、シリア難民は格好の、叩いてもよい「自分たちより下」の存在なのだ。

名匠からのラストメッセージ

© Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films

歴史的な炭鉱ストライキ闘争の後、炭鉱を失った多くの町では大量の失業者が生まれ、イギリス社会全体が貧困と格差に悩まされることになる。それに追い打ちをかけたのが移民問題で、のちに政府が移民政策は失敗だったと公式に認めるほど事態は悪化。現在では反移民デモが頻発しており、社会の分断化も深刻な問題となっている。

そんなイギリスの姿を労働者の立場から描いたのが本作だ。仕事に恵まれない男たちはパブにたむろして不満のはけ口に難民たちを罵り、SNSにせっせとヘイトスピーチを投稿している。難民たちは馴れない環境でいわれなき差別を受け、子どもは学校でいじめに遭っている。ケン・ローチの作品はリアリティのある演出と俳優の演技力に定評があるが、本作も常連客を演じた俳優たちの演技とは思えぬレイシストぶりに瞠目する。

イギリスが抱える悩みは、今まさに深刻な危機に直面している日本と、あらゆる面で酷似している。本作が見せているのは外国の一地方の物語ではなく、日本を含めたあらゆる国々の現状なのだ。

声高でない抑えた表現が特徴のケン・ローチ作品において、本作はこれまでにない一歩踏み込んだシーンで幕を閉じる。映画を通して労働者の生きる権利と、人として当然得るべき幸福について問い続けてきたケン・ローチ渾身のメッセージを、ひとりでも多くの人に受け取ってもらいたい。傍観や諦観するだけの時代は過ぎたのだと。

<作品情報>
オールド・オーク
4月24日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
配給:ファインフィルムズ
© Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films

監督:ケン・ローチ 脚本:ポール・ラヴァティ
出演:デイヴ・ターナー、エブラ・マリ、クレア・ロッジャーソン
2023/イギリス、フランス、ベルギー/英語・アラビア語/113分/カラー/映倫:G
原題:The Old Oak
配給:ファインフィルムズ 後援:ブリティッシュ・カウンシル
HP:oldoak-movie.com