証人は11歳の息子。カンヌが絶賛した法廷ミステリー映画の中の子ども・家族Vol.40『落下の解剖学』文/水谷美紀

©2023 L.F.P. – Les Films Pelléas / Les Films de Pierre / France 2 Cinéma / Auvergne-Rhône-Alpes Cinéma
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フランスの雪深い土地で起こった不審な転落事故。やがて死んだ男の妻であるベストセラー作家が起訴される。裁判が進むなか、視覚障がいを持つ息子も法廷に呼ばれ──。『映画の中の子ども・家族』Vol.40はカンヌ国際映画祭パルムドール受賞、アカデミー賞でも5部門にノミネートされている注目作『落下の解剖学』を紹介します。

〈本編内容に触れている箇所がありますので、未鑑賞の方はご注意ください〉

事件によって暴かれる夫婦の実態

長編4作目にして第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したジュスティーヌ・トリエ。夫でやはり映画監督であるアルチュール・アラリとの共同脚本による本作は緊迫感のある法廷ミステリーであると同時に、夫婦の難しさや愛の崩壊を描いたシビアなファミリードラマでもある。

ベストセラー作家サンドラは、教師をしながら小説を書いている夫サミュエル、視覚に障がいのあるひとり息子ダニエル、そして愛犬スヌーブとともに、フランスの雪深い山里で暮らしている。

そんなある日、住居である山荘から落下したサミュエルの死体が発見される。検視の時点では自殺とも事故とも他殺とも判明しなかったが、やがて容疑者としてサンドラが起訴される。古い友人に弁護を頼み、無実を訴えるサンドラ。だが証拠品として提出された録音には、事故前日に激しく言い争うサンドラとサミュエルの声が入っていた。自分の知らない両親の姿に衝撃を受けたダニエルは母への信頼が揺らいでしまう。本当に母は父を殺していないのだろうか。不安を覚えた息子が見守るなか、裁判は進んでいく。

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「作家の妻」と「作家をめざす夫」の軋轢

法廷ミステリーの魅力には謎解きの面白さだけでなく、裁判によって容疑者の人となりや被害者との関係に肉迫していくスリルがある。本作でも法廷でのシーンによってサンドラとサミュエルが抱えていた夫婦の問題が次々と明らかになっていく。

すでにベストセラー作家で「どんな環境でもわたしは書ける」と断言する気丈なサンドラと、教師をしながら作家をめざし、思うように書けないサミュエルの関係は、お世辞にもバランスが取れているとはいえない。家事負担を執筆できない理由にしてサンドラを責めるサミュエルの弱さは見ていてつらいが、パートナーだけが昇進や成功をしたことで溝ができ、破綻するカップルは意外と多い。本作を製作するにあたって監督が参考にした映画のひとつが『クレイマー・クレイマー』(1979)だそうだが、やはり夫婦間のキャリア差が深刻な亀裂を引き起こすことを描いた名作だ。

サンドラとサミュエルの間には他にも息子の障がいに関する確執やセックスレス、不倫など幾層にも重なった問題がある。だからといって殺人に即結びつくかというと疑問が残る。録音に残された二人の口論はすさまじいが、同時に圧倒的なリアリティがある。誰しもパートナーと一度ならず、このような激しい罵り合いを経験したことがあると感じるだろう。

自制心のタガが外れ、互いに言い過ぎている夫婦喧嘩の台詞は秀逸だ。ザンドラ・ヒュラーの卓抜した演技力も相まって強烈な印象を与えている。本作屈指の名シーンである。

前作『愛欲のセラピー』でも監督とタッグを組んだザンドラ・ヒュラーは役柄のサンドラと同様ドイツ出身。本格的な映画デビュー作『レクイエム ミカエラの肖像』(2006)ですでにベルリン国際映画祭で銀熊賞(女優賞)を受賞している演技派だが、大ヒット作『ありがとう、トニ・エルドマン』(2016)の娘役で知ったという人も多いだろう。日本では5月に公開される『関心領域』(2023)も第76回カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得しており、受賞作2本に出演という快挙を成し遂げている。

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過酷な状況で成長する息子

もうひとつ注目すべき点はダニエルの存在感だ。監督によると、これまでの作品で子どもは背景的な静かな存在だったが、本作では物語の中心にダニエルの視点を取り入れ、サンドラの視点と並べているという。確かに、映画が進むにつれてダニエルの存在感が増し、最後には二人が主役のように描かれている。

父が死に、母が容疑者になり、唯一の証人になったことで、ダニエルは急速に成長することを余儀なくされる。それはひたすら庇護され、完全に無垢だった子供時代とのあまりに早い訣別だ。究極の状況にあって自分はどうするべきなのかを必死で考え、決断したダニエルの迷いない表情は、守られる立場から母を守る立場に成長したことを物語っている。愛犬役のボーダーコリー(パルム・ドック賞受賞)との息もぴったりだったミロ・マチャド・グレイナーが、母親想いのダニエル役を感情豊かに好演している。

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〈作品情報〉
『落下の解剖学』

監督:ジュスティーヌ・トリエ
脚本:ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ 出演:ザンドラ・ヒュラー、スワン・アルロー、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツ
配給:ギャガ
原題:Anatomie d’une chute|2023 年|フランス|カラー|ビスタ|5.1chデジタル|152 分|字幕翻訳:松崎広幸|G

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公式 HP: gaga.ne.jp/anatomy
X: @Anatomy2024

予告編
https://youtu.be/IsJS-MHgp6U