2024年01月26日
＿レビュー

孤独な少女に訪れた、かけがえのない時間映画の中の子ども・家族 Vol.38『コット、はじまりの夏』文／水谷美紀

孤独に育った少女が預けられたのは、夫婦ふたりで暮らす親戚の家。それまで体験したことのなかった愛情を受け、少女の心は少しずつ解放されていき──。『映画の中の子ども・家族』Vol.38は少女のひと夏を丁寧に、みずみずしく描いた話題作『コット、はじまりの夏』を紹介します。

美しく温かい作品に世界が絶賛

第72回ベルリン国際映画祭をはじめ世界の映画賞で42の賞を受賞、アイルランド語映画としては歴代最高の興行収入を記録した本作は、親からの愛情を満足に得られず育った９歳の少女コットが、親戚の家での温かい暮らしによって少しずつ自分を解放していく物語だ。

アイルランドの緑豊かな自然、片田舎での素朴な暮らし、互いをいたわりあう人々の営み。ひとつひとつのシーンが美しく丁寧に描かれており、まるで大切な宝物を眺めているような幸福な時間をもたらしてくれる。

コットと2人の理解者を描いた繊細で優しい世界は、すでに多くの映画ファンを魅了しており、北米では『燃える女の肖像』『パラサイト　半地下の家族』などフレッシュな才能を次々と世に送り出している新進気鋭のスタジオ、NEONが配給権を獲得している。

初めての「大切にされる体験」

子だくさんで生活に疲弊している両親はコットに愛情をかける余裕がない。ネグレクトに近い家庭環境の影響か、コットは自信なさげで寡黙な少女に育ち、学校でも家の中でもはずれ者だ。

貧しい暮らしにも関わらず母親はまたしても妊娠し、これまで以上に子どもの面倒をみれなくなってしまう。そのためコットは母親が出産する夏休みの間、親戚にあたるキンセラ夫妻の家に預けられる。諦観と不安を抱えた旅立ちだったが、これがコットの運命を大きく変えていく。

これまで誰からも大切にされてこなかったコットだが、それは彼女に問題があったわけではなかった。愛情深い妻・アイリンは彼女を可愛がり、口下手で最初は距離のあった夫・ショーンとも少しずつ関係を深め、やがて三人は本当の家族のような絆で結ばれていく。事情があって今はふたり暮らしのキンセラ夫妻にとっても、コットの出現は大きな喜びだったのだ。

到着した日、コットがショーンの手で丁寧に体を洗われ、丹念に髪をブラッシングされるシーンは象徴的だ。実の親からは得られなかったケアと無条件の愛情をほどこされ、コットの萎縮していた心と体が少しずつほぐれていく。実の親でなくとも、子どもに精一杯の愛情を注ぎ、慈しむことがどれだけ大切かを物語っている。

最年少で主演女優賞を獲得

監督は本作が長編映画デビューとなるコルム・パレード。これまでに短編やドキュメンタリーで子どもや家族を題材にした作品をつくり、数々の賞を受賞してきた実力者だ。

『ONCE ダブリンの街角で』『シングストリート未来へのうた』『ベルファスト』『恋人はアンバー』など、人の心に寄り添った良作の多いアイルランドだが、本作もまずアイルランド国内で高く評価され、IFTA（アイリッシュ映画＆テレビアカデミー賞）で10部門ノミネート、7つの部門で受賞に輝いた。監督自身も各国で14の賞を受賞、33ノミネートという華々しいデビューを飾っている。

少人数ながら実力者でそろえたキャストも見事だ。特にコット役を演じたキャサリン・クリンチの透明感に満ちた存在感は傑出しており、IFTA賞では史上最年少の12歳で主演女優賞を獲得。誰からも気にかけてもらえなかった少女が愛情を知って変化していく過程を自然に、だがきめ細やかに演じている。

原作は短編集『青い野を歩く（エクス・リブリス）』（訳：岩本正恵／白水社）の著者でアイルランド出身・現在はアメリカで活躍しているクレア・キーガンの『Foster』（日本未訳）。『ニューヨーカー』誌に初掲載され、同誌の「年間ベスト」に選ばれた同名の短編を中編に書き直した作品だ。

アイルランド人作家の小説が原作というと、英国圏を中心に社会現象になったBBC制作のドラマ『ノーマル・ピープル』も記憶に新しいが、撮影監督が本作と同じケイト・マッカラであることも見逃せない。近年注目を集めている撮影監督で、本作でも多くの賞に輝いている。

〈作品情報〉
『コット、はじまりの夏』
2024年1月26日(金)公開

公式サイト
https://www.flag-pictures.co.jp/caitmovie/