イラン国境をめざす秘密の旅映画の中の子ども・家族 Vol.33『君は行く先を知らない』文/水谷美紀

©JP Film Production, 2021
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旅行と称してイラン国境付近をめざす一台の車。メンバーは家族4人に病気の犬が一匹。大はしゃぎする幼い次男に対し、残り3人の表情は沈鬱だ。この旅の目的地は? そこで何が待ち受けているのか? 『映画の中の子ども・家族』Vol.33はユーモラスな作風に包んで描かれるイラン人一家の決意を描いた『君は行く先を知らない』を紹介します。

やんちゃな弟と憂いに沈む家族

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本作は『白い風船』(1995)などで知られるイランの名監督ジャハル・パナヒを父に持ち、その制作現場で経験を積んだ長男パナー・パナヒの長編デビュー作である。リアルで自然な会話やユニークな演出によって、父とも、かつて父が助監督としてついていた巨匠アッパス・キアロスタミとも異なる新しい個性と魅力を発揮しており、カンヌ映画祭を皮切りに世界各国96の映画祭でも絶賛されている。

物語のおもな舞台は家族4人と愛犬が乗った狭い車中だ。父ジャハル・パナヒもかつて『人生タクシー』(2015)で街を流すタクシーの車中をおもな舞台にしたが、本作は街を出てトルコ国境をめざすロードムービーの形をとっており、道中での会話によって少しずつ旅の目的が明らかになっていく。

片足を骨折している父はケガのせいばかりでなく憮然としており、美しい母は革命以前に流行した古い歌謡曲を聞いては涙ぐむ。運転する長男の表情は憂いを帯びていて、どう見ても楽しい旅行という雰囲気ではない。そのなかで幼い次男だけは元気いっぱいで、片時もじっとしていない。家族全員に愛されて育った末っ子そのものの天真爛漫な姿は、うるさく、可愛く、それだけに残り3人の重苦しい空気がいっそう気になる。実はこのドライブは次男だけに内緒にしている“別れの旅”なのだ。

子に真実を告げない愛情

©JP Film Production, 2021

この旅に出るにあたって次男を除く3人が約束したのは、旅の間は悲しい顔を見せないことと、真実を次男にだけは知らせないこと。喜びも悲しみもすべて分け合うことを方針にしている家族も多いが、一方で幼い末っ子にだけは家が抱える苦しみや悲しみを見せたくない、この子だけは幸福なままでいて欲しいと考える家族もいる。本作の家族は間違いなく後者である。旅の目的を告げたら次男が騒いで手がつけられなくなるからという理由ももちろんあっただろうが、屈託なく笑い、騒ぎ、一日中はしゃいでいる次男は一家の幸せの象徴であり、彼をこのまま笑顔でいさせ続けることが3人の心を強く支え、離れ離れになっても悲しみ過ぎずにいられるのかもしれない。

両親にとって次男が今はまだひたすら愛情を注ぐだけの対象であるのに対し、すでに成人している長男は悲しみも苦しみも共有する対等なメンバーだ。旅が終わりに近づいてきた時、父親と長男がふたりきりになって言葉少なに語らうシーンでは、労わり合う大人同士の連帯がにじみ出る。偉大な映画監督を父にもち、やがて自身もキャリアを積んで仕事上のパートナーとなったパナー・パナヒ監督だが、ジャハル・パナヒは改革派を支援したことなどを理由に 2010 年に逮捕され、20年間の表現活動と海外渡航を禁止されている。そんな父を一番近くで支えてきた彼が描く父子の姿は、さりげないが心に迫るものがある。

ロードムービーの新しい名作

©JP Film Production, 2021

子役が魅力的な作品の多いイラン映画だが、本作も数々の名作に引けを取らない素晴らしい子役が大きな話題になっている。撮影当時6歳だった次男役、ラヤン・サルラクの無邪気で愛らしいエネルギーには誰もが心奪われるだろう。また、両親役にはモハマド・ハッサン・マージュニとパンテア・パナヒハのベテラン2人を起用し、ほぼ4人だけの93分を一瞬も飽きさせない。憂いある表情が印象的だった長男役の新人アミン・シミアルは特に各国で絶賛されており、フィラデルフィア映画祭では4人揃ってアンサンブルキャスト賞を受賞している。

また、狭い車中での撮影と対比するように、広い高原や砂漠を詩的にとらえた映像美も本作の魅力のひとつだ。特に、感情の高まるシーンほど人物に寄らずロングショットで静かにとらえたセンスは素晴らしい。時にファンタジックな演出を取り入れたりミュージカルの要素を加えたりとチャレンジングな姿勢も面白く、今後の活躍が楽しみな監督だ。

現在イランでは若い世代が暮らしに希望が持てず、自由や人権を求めて国を出る人も多いという。後半で描かれる国外脱出までのプロセスはあくまでフィクションだが、監督が実際に見聞きしたエピソードが反映されている。国を捨てないと生きていけないほどのイランの社会情勢や祖国に対する絶望や諦めの感情は、我々日本人にとっても決して他人事ではない。自然な会話で綴られたユーモラスな作風だが、家族が幸せに暮らせることと、幸せに暮らせる国について考えさせられる作品だ。

<作品情報>
『君は行く先を知らない』
8月25日(金)新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
配給:フラッグ
©JP Film Production, 2021
監督・脚本・製作:パナー・パナヒ
原題:HIT THE ROAD
出演:モハマド・ハッサン・マージュニ、パンテア・パナヒハ、ラヤン・サルラク、アミン・シミアル

2021年|イラン|ペルシャ語|1.85:1|5.1ch|カラー|93分|英題:HIT THE ROAD

日本語字幕:大西公子|字幕監修:ショーレ・ゴルパリアン
後援:イラン・イスラム共和国大使館イラン文化センター|提供・配給:フラッグ|宣伝:FINOR
公式サイト:https://www.flag-pictures.co.jp/hittheroad-movie/