すべてを失ったシングルマザーの転機映画の中の子ども・家族Vol.30『トゥ・レスリー』文/水谷美紀

© 2022 To Leslie Productions, Inc. All rights reserved.
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宝くじで得た大金を使い果たし、友や息子にも拒絶され、住むところも失ったシングルマザーに声をかけたのは、モーテルで働く孤独な男だった──。ライター水谷美紀による『映画の中の子ども・家族』Vol.30は、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた話題作『トゥ・レスリー』を紹介します。

酒に溺れ、息子を見捨てた過去をもつヒロイン

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我が子をいくら愛していても、それだけでは子どもを育てることはできない。さまざまな事情や自身の適性、あるいはその両方の理由で子育てにつまづき、困難な状況に陥ってしまうケースは少なくない。なかには若くして親になったものの、生き抜く力が乏しいために困窮し、社会からこぼれ落ちていく人もいる。本作の主人公であるシングルマザーのレスリーもそんなひとりだ。

宝くじで当てた大金をあっという間に使い果たし、酒に溺れる日々を送っているレスリーは、ついに家賃も払えなくなり、家を追い出されてしまう。困った彼女は別の街に住む息子ジェームズのもとに転がり込むが、6年ぶりの母子の再会は複雑だ。レスリーの犠牲から逃れ、若くして自立することを余儀なくされたジェームズは、着の身着のままの母親に黙って洋服や下着を買い与え、仕事が見つかるまでという条件で部屋を提供する。だがレスリーはここでもアルコール依存症ゆえの最低な母親ぶりを発揮し、傷ついたジェームズに出て行ってくれと言われてしまう。

やむなく故郷に舞い戻ったものの、そこにも彼女の居場所はない。かつて幼かったジェームズを見捨てた過去をもつレスリーは、そのことで居候先であるかつての親友に憎まれている。昔を知る口さがない連中からは「宝くじで当てた金を全部飲んでしまった女」と嘲笑され、いたたまれない。やがて約束を破って酒に手を出したレスリーは居候先からも締め出され、寒空のなかホームレス同然になってしまう。そんなレスリーに手を差し伸べたのが、モーテルで働くスウィーニーという男だった。

困難を抱えた女性のリアリティ

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若くして子を産みシングルマザーになったレスリーは少女のまま母になったような女性で、堅実に働いて息子を育てることができない。建設的に物事を考える能力も、一念発起して人生をやり直そうという気力もなく酒に逃げる姿は、自暴自棄というより人生という複雑な道で迷子になって途方に暮れているか弱い子どものようだ。

レスリーのような人にこそ家族や周囲のサポートが必要だが、親とは疎遠で、周囲の好意や忠告もうまく受け取れず、人間関係を築けない。アルコール依存症なので酒を手に入れるためなら平気で嘘をつき、金を盗み、息子を泣かせる。長年の酒浸りのため見た目も体もボロボロなのに、バーで見知らぬ男に酒を奢らせようと料(しな)を作って近づく姿は痛々しい。

すべてのシングルマザーがレスリーのようであるわけでは(もちろん)ないが、困難に陥っている女性のひとつの典型としてレスリーのキャラクター造形は秀逸であり、アンドレア・ライズボローの演技力によって絶大なリアリティを獲得している。

本作はアメリカ国内で単館公開だったのにもかかわらず、アンドレアの演技力をハリウッドの実力派俳優たちが絶賛したことで大きく注目され、本年度のアカデミー賞®主演女優賞にノミネートされている。監督は『13の理由』『ハウス オブ カード 野望の階段』などの人気ドラマを手掛けてきたマイケル・モリス(長編映画デビュー作)。脚本はエグゼクティブプロデューサーでもあるライナン・ビナコ。本作は実話をもとにして書いた、自身の母に宛てて書いたラブレターのような作品だという。1950年代や60年代のストリート写真にインスパイアされて作られたダイナーやモーテルを含むアメリカの風景はノスタルジックで、35mmフィルムで撮った映像が、いっそう作品の魅力を高めている。

息子への愛が、母を支える

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愛情があるならば、母ならば、品行方正で優秀な親になれるだろう、なるのが当然だと、社会は、あるいは親たち自身も相互監視のなかでプレッシャーをかけがちだが、人間は不完全な生き物だ。程度の差こそあれ、誰もがレスリーのような駄目な一面をもっている。レスリーほど酷くも不幸にもならずに済んでいるとしたら、それは自分が優れているからではなく、たまたま運や環境に恵まれていただけなのだ。

人としても親としても褒められるところの見当たらないレスリーだが、それでもジェームズへの愛情に偽りはなく、その想いは他のどの親にも負けないほど強い。レスリーが今の状況からなんとか脱しようと決心する原動力になったのも、息子に対する秘めたる愛情だ。

レスリーは何度も過ちや失敗を繰り返したあと、スウィーニーとの出会いによって、ようやくどん底から這い上がるきっかけをつかむ。アルコールを断ったレスリーが新たな一歩を踏み出すラストシーンは必見だ。辛抱強くレスリーと付き合い続けるスウィーニーのような存在は現実では稀有かもしれないが、決していないわけではない。そして、一見与えている側に見えるスウィーニーにとっても、レスリーの存在が大きな救いになっていることは見逃せない。

ふたりの姿は閉塞的な状況のなかで苦しむ孤独な人々にとって、大きな励みになるだろう。そんな人々にこの作品が届くことを心から願う。

〈作品情報〉
トゥ・レスリー
https://movies.kadokawa.co.jp/to-leslie/

6月23日(金)全国ロードショー公開

監督:マイケル・モリス
出演:アンドレア・ライズボロー(『オブリビオン』『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』)、マーク・マロン(「GLOW ゴージャス・レ ディ・オブ・レスリング」)、オーウェン・ティーグ(『フロッグ』『IT イット “それ”が見えたら、終わり。』)、アリソン・ジャネイ(『アイ,トーニャ 史上最大 のスキャンダル』『LOU ルー』)
配給:KADOKAWA 2022/英語/119 分/シネスコ/カラー/5.1ch/原題:To Leslie/日本語字幕:松浦 美奈
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