失明、失聴…母子で乗り越えた日々映画の中の子ども・家族 Vol.22『桜色の風が咲く』 文/水谷美紀

©THRONE / KARAVAN Pictures
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3歳で右目の視力を失った智(さとし)は、片目だけの生活にも馴れて元気に暮らしていた。ところが少しずつ左目の具合も悪くなり、9歳で失明。さらに18歳で聴力も奪われてしまう。絶望と孤独に沈む智だったが、あるとき母・令子が独自の“指点字”を思いつき……。ライター水谷美紀による『映画の中の子ども・家族』Vol.22は、盲ろう者として世界で初めて大学教授になった福島智氏と母親の物語『桜色の風が咲く』を紹介します。

平凡な一家に訪れた過酷な試練

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関西のとある町。教師の夫と3人の息子に囲まれ、令子(小雪)は忙しくも幸せな日々を送っていた。口が達者でやんちゃな末っ子の智(森優理斗)は3歳の時に右目を失明しているが、そのことをネタにへらず口をたたくほど明るい性格だ。ところが9歳のときに左目も見えなくなり、完全に視力を失ってしまう。

成長した智(田中偉登)は令子の心配をよそに、東京の盲学校に進学するため単身上京する。どんなときもユーモアを忘れない性格は全盲になっても変わらず、親友もでき、ピアノが得意な同級生に恋心を抱くなど、新しい環境で智は青春を謳歌する。ところが今度は突発性難聴にかかり、18歳で聴力まで失われてしまう。

どうして自分ばかりがこんな目に。故郷に戻り、点字が打たれた紙を触って「俺の世界は紙切れ一枚になってしもたんやな」とつぶやく智に対し、気丈に寄り添ってきた令子も悲しみを抑えきれない。そんなある日、ふとしたことをきっかけに、令子は視力も聴力も失った息子との新しいコミュニケーション方法となる“指点字”を思いつく。再び世界とスムーズにつながれるようになった智は、やがて自分に与えられた使命について考えるようになる。

東大教授・福島智氏の生い立ちを描く

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本作は盲ろう者(視力と聴力の重複障害者)として世界で初めて大学教授になった東京大学教授・福島智氏の実話に基づいた物語である。映画と同様、段階的に視力だけでなく聴力も失い、絶望と孤独のなかにいた青年時代の福島氏を救ったのが、急いでいる時に母・令子さんがとっさに思いついた“指点字”だった。相手の指に自分の指を重ね、点字を打つことで言葉を伝えることができる指点字は、現在では福島親子だけでなく盲ろう者の人々を中心に広く使われている。

監督は本作にも医師役で出演しているリリー・フランキーが主演をつとめた、障害者の性をテーマにした『パーフェクト・レボリューション』(2017)の松本准平。対談で福島氏と出会い、生い立ちを映画化したいと考えた監督は、やがてNHKドラマ『鎌倉殿の13人』も手がけるプロデューサー結城崇史と出会い、実現にこぎつける。他にも監督の想いに賛同したスタッフ、キャストが集結したことで、ともすれば大げさな感動ストーリーになりかねない題材を、真摯な家族の物語として完成させた。絶望や困難に屈せず歩いていく智と令子の姿は、未来に希望が持てなかったり、前向きに暮らすことが困難な今を生きる我々を、静かに、だが力強く鼓舞してくれる。

12年ぶりの主演で見せた、小雪の存在感

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智の母・令子役を演じたのは、12年ぶりの映画主演となる小雪。令子同様、三人の子をもつ母である彼女は、現在は地方に住み、俳優業と並行して子育てしながら畑仕事も行っている。都会を離れ、地に足をつけた暮らしは人としても俳優としても彼女を大きく変えたようで、息子のためならどんな苦労も厭わず、強い覚悟と深い愛情を持ってなりふり構わず支える母親役を好演している。

智役に挑んだ田中偉登の魅力も本作の成功に大きく貢献している。他作品で見られるキラリと目立つ存在感は封印し、柔和な笑顔で飄々と関西の言葉を話す、障害があることを除けば「どこにでもいそうな青年」を演じきっている。智が親近感のあるキャラクターになったことで、観客にとって智は「馴染みのない世界の人」「偉業を成し遂げたすごい人」ではなくなり、智と令子の人生も「自分にも(自分の子にも)あり得た出来事」として深く心に残るだろう。ちなみに実際の福島智氏も、ユーモアが好きな関西人である。

二人を見守る他の家族の描き方も嘘がなくていい。智しか見えなくなっている妻とは違い、家庭を維持するために淡々と家事をおこない、時に客観的な意見を述べる夫・正美(吉沢悠)の姿は、令子より冷たく見える点も含め現実感がある。仕方がないとわかっていても、弟ばかりを構う母親に不満を爆発させる次男や、同じ気持ちを抑えて母を思いやる長男の自制的な姿もリアルだ。

現在は東京大学の教壇に立ち、バリアフリー研究者としても活躍する福島智氏と令子さんの功績に敬意を捧げつつ、特別な人達のミラクルストーリーではなく、苦しみながら壁を乗り越えていった家族の物語として、この映画を多くの人に勧めたい。

〈作品情報〉
『桜色の風が咲く』
出演:小雪 田中偉登 吉沢悠 吉田美佳子 山崎竜太郎 札内幸太 井上肇 朝倉あき / リリー・フランキー
製作総指揮・プロデューサー:結城崇史、監督:松本准平、脚本:横幕智裕 、音楽:小瀬村晶、 協力:福島令子 福島智

エンディング曲:辻井伸行「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13 《悲愴》  II. ADAGIO CANTABILE」
製作:スローネ、キャラバンピクチャーズ
制作:THRONE INC./KARAVAN PICTURES PTE LTD

助成:文化庁文化芸術振興費補助金 文部科学省選定(青年・成人向き)(令和4年10月19日選定)

製作国:日本/日本語/2022/ビスタ/5.1Ch/113分/英題:“A Mother’s Touch”
©THRONE / KARAVAN Pictures
配給:ギャガ
公式HP:gaga.ne.jp/sakurairo
11/4(金)シネスイッチ銀座、ユーロスペース、新宿ピカデリー他全国順次ロードショー