「生まれてきてよかったのか」の問いに応える、是枝裕和監督の最新作映画の中の子ども・家族Vol.18 『ベイビー・ブローカー』 文/水谷美紀

ⓒ 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED
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ベイビー・ボックスから赤ちゃんを横流ししてマージンを得るブローカーが、子を取り戻しに来た母親とともに養父母探しの旅に出る。ライター水谷美紀による『映画の中の子ども・家族』Vol.18は、主役を演じたソン・ガンホが韓国人俳優初、カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞に輝いたことでも話題の作品『ベイビー・ブローカー』を紹介します。

韓国の一流スタッフ・キャストが集結

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第75回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(ソン・ガンホ)とエキュメニカル審査員賞に輝いた是枝裕和監督の最新作『ベイビー・ブローカー』は、命はみな等しく大切であることを伝える、繊細でありながら力強い作品だ。監督初の韓国映画ということで、映画界を牽引する最高の韓国人キャストとスタッフが集結。各人にとって代表作となるであろう見事な映画に仕上がっている。

舞台は韓国。主人公は借金にあえぐクリーニング店主サンヒョン(ソン・ガンホ)。さまざまな事情から養育が困難な乳児を匿名で預けるベイビー・ボックスから赤ちゃんを連れ去り、子を望む夫婦に横流しするブローカーを副業にしている。相棒はベイビー・ボックスがある施設で働く、児童養護施設出身の青年ドンス(カン・ドンウォン)。ふたりはある日、赤ちゃんを取り戻しに来た若い母親ソヨン(イ・ジウン)と出会い、ひょんなことから一緒に赤ちゃんの養父母を探すことになる。そんな彼らを尾行している者がいた。現行犯逮捕の決定的な瞬間をずっと狙っているスジン刑事(ぺ・ドゥナ)と後輩のイ刑事(イ・ジュヨン)だ。

自分が追われていることに気づかず、条件の良い親候補を求めて車を走らせるサンヒョン。そんな、一風変わったロードムービーの形をとって物語はスタートする。

産みの親と一緒に、養父母を見つける旅

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「自分の行為は赤ん坊に温かな家庭を見つける善意だ」と嘯(うそぶ)くサンヒョン、親に捨てられるつらさを誰よりも知っているドンス、心を閉ざし、詳しい事情を一切話さないソヨンと赤ちゃん。さらにドンスが育った施設からついてきた少年を加えた5人は、協力して赤ちゃんの世話をするうちに、少しずつ打ち解けていく。一方、そんなサンヒョン達の姿を見て、どんな手を使ってでも逮捕しようと意気込んでいたスジン刑事の心にも、少しずつ変化が起こる──。

5人に共通しているのは、家族に恵まれていないことだ。サンヒョンは妻と別れ、愛する娘と満足に会えない。ドンスは母親が迎えに来ると信じて養子縁組を断り、孤独なまま成人した。少年は大きくなり過ぎたため養子の受け皿がなく、家族を心から求めている。そしてソヨンは自分が産んだ子との絆を自ら断ち切ろうとしている。彼らはやがて寄る辺ない身を寄せ合い、血の繋がりはなくとも家族のようになっていく。

是枝監督は、赤ちゃんの取り違えが数年後に発覚した二つの家族を描いた『そして父になる』(2013)を製作する過程で、赤ちゃんポストや養子縁組に興味を持ったと語っている。その後、本作を製作するために韓国でリサーチを進める過程でベイビー・ボックス出身である子どもたちと接触する。そこで彼らが「自分は生まれてきてよかったのか」という問いに明確な答えを出せずにいることを知ったことが、作品のテーマと方向性を大きく決定づけた。本作はそんな子らに向けた監督からの渾身のメッセージを、是枝作品には珍しい明確なセリフにして伝えている。

ドイツの「ベイビークラッペ」が始まり

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韓国では「ベイビー・ボックス」、日本では「赤ちゃんポスト」と呼ばれることが多いこうした窓口は、2004年に世界で初めてドイツに開設された。ドイツでは「ベイビークラッペ」と呼ばれ、現在約100箇所ある。日本では2007年に熊本の慈恵医院に設置された「こうのとりのゆりかご」が最初で、次いで2022年に北海道に設置された「BABY BOX(ベビーボックス)」が2例目になる。

一方、韓国では2009年にソウル市内の教会に設置されたのが最初で、やはり国内に2箇所ある。だが預けられた乳児の数には大きな開きがあり、日本が設置から15年で159人だが、韓国はそれより遥かに多い。特に養子縁組の際に出生届を義務化した“養子縁組特例法”が施行された2012年を境に、年間200人以上の乳児が預けられている。ちなみに日韓ともにこれらは民間運営だが、韓国では国内での養子縁組が1件確定するごとに270万ウォン(27万)補助されるのに対し、日本の場合、国からの補助は得られない。劇中、赤ちゃんの容姿を理由に養父母候補とサンヒョンがシビアに価格交渉をする場面があるが、その時の金額と照らし合わせると、彼がなかなかの商売上手であることがわかる。

大切ではない命はあるのか

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赤ちゃんだけでなく、子どもも大人も、もちろん高齢者も、命の尊さに差はなく、すべて等しく大切なものである。そんな当たり前だと思われていた前提が、現代では時に、または置かれた境遇によって、たやすく揺らいでしまう。SNSで人の命を軽視する発言をしたり、実際に軽んじたりと、現代人が他者の苦しみを想像する力が衰えていることに対しても、この映画は警鐘を鳴らしている。

人の人生には、ニュースの見出し数行や要約された記事からは読み取れない事情がある。映画の前半では「自分の子を捨てようとした心ない若者」としか見えていなかったソヨンだが、隠されていた事情が明かされることによって、観客は彼女が抱えていた苦しみや葛藤、切羽詰まった状況を理解する。そのときに我々はようやく、冒頭でなぜ彼女がベイビー・ボックスの中ではなく命の危険がある道端に赤ちゃんを置いてしまったのか、そして考えを翻して取りに戻ってきたのか、その心情に思い至るだろう。

折しも、かつて是枝監督が製作指揮をとったオムニバス映画『十年 Ten Years Japan』(2018)の一編を撮影した早川千絵監督の『PLAN75』が、同じ第75回カンヌ映画祭においてカメラドール スペシャル・メンション(特別賞)を受賞し、現在劇場公開中である。こちらは満75歳から生死の選択権を与える制度が可決された近未来の日本を舞台に、やはり命の価値や、生と死に対する現代人の意識に焦点を当てた作品だ。赤ちゃんと老人の違いはあれど、人の生と死に向き合い、命の価値を見直そうという点で、この二作は偶然にも対のような作品になっている。

是枝作品には、時に過酷な暮らしを余儀なくされていたり、時に犯罪を犯したりと、良くないと分かっていながらも「そうとしか生きられなかった」人物がしばしば登場する。そんな人々ー境遇は違っても、それはひょっとすると我々自身かもしれないーに対する温かな目線は、本作にも通底している。深いテーマでありながら難解でなく、飄々としたサンヒョンのキャラクターもあって、幅広い層が楽しんで鑑賞できる点からも、特に本作は監督の「限られた人だけではなく、あらゆる人に届けたい」という、並々ならぬ意志を感じる。そのような作品の主人公として、ソン・ガンホは最高の演技を見せてくれている。

〈作品情報〉
『ベイビー・ブローカー』
6月24日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
■監督・脚本・編集:是枝裕和
■出演:ソン・ガンホ  カン・ドンウォン  ペ・ドゥナ イ・ジウン イ・ジュヨン
■製作:CJ ENM   ■制作:ZIP CINEMA   ■制作協力:分福
■提供:ギャガ、フジテレビジョン、AOI Pro.
■配給:ギャガ https://gaga.ne.jp/babybroker/