与えられるべきもの・与えられなくても獲得されるもの  映画レビュー『八日目の蝉』 文/高橋ライチ

©2011映画『八日目の蝉』製作委員会           
         
        
©2011映画『八日目の蝉』製作委員会                              

「家族」の脆さと強さについて、人が育つ・生きていく力について。

エンライト編集部の映画好きカウンセラー、高橋ライチです。今日はふと手にとった旧作からご紹介。DVD化されていると時間を超えて、何度も考えるチャンスをくれるところがありがたいですね。パートナーと、友人と、親子で、感想を話し合うのもおすすめです。登場人物の誰に感情移入したか?によって感想に違いがありそうです。

この先、内容がネタバレになっていくので、ご興味ある方はぜひ映画を先にご覧ください。原作の小説は第2回中央公論文芸賞を受賞しベストセラー、本映画は第35回日本アカデミー賞で10冠を獲得しています。

誘拐、逮捕。その後も人生は続く

2011年公開のヒット映画『八日目の蝉』。
あらすじは、キャッチフレーズそのままで

どしゃぶりの雨の中で起きた誘拐事件。犯人は父の愛人。
連れ去られたのは、私。私はその人を、本当の「母」だと信じて生きてきた。

という恵理菜(井上真央)が「私」である。赤ん坊の自分を連れ去った犯人・希和子(永作博美)を母として4年間育つが、希和子の逮捕により、実の両親のもとに帰される。しかし彼女にとっては「新しい家族」にうまくなじめず、大学生になった恵理菜は家を出て一人暮らしをしている。バイト先の男性(劇団ひとり)と不倫関係にある。

4人の女性たちの存在感

日本アカデミー賞・最優秀主演女優賞を受賞した井上真央演じる恵理菜の、影のある硬い表情は、「統合されていない過去をもつ」リアリティを映し出している。

恵理菜と同時期に宗教団体エンゼルホームで幼少期を過ごしたフリーライターの千草(小池栄子)もまた、リアルだ。猫背で早口に空気を読まずにしゃべるさまが、欠けたものを抱えながら必死で生きる、不器用な女性の存在感を体現している。普段の小池栄子が発する「勝ち組感」「いい女オーラ」が見事に消されていた。

加えて自分の子を失い、本妻の子を誘拐して逃避行する希和子(永作博美・日本アカデミー賞では最優秀助演女優賞を受賞)は、観る側に「悪」だと断じさせない、むしろついつい感情移入してしまう切実さと愛にあふれている。

一方、実子を愛人に奪われた本妻・恵津子(森口瑤子)は、被害者であるにも関わらず、同情しづらい描かれ方をしている。愛人・希和子を罵倒し、ようやく戻ってきた恵理菜と心を通わせることがなかなかできない。そのうえ、成長し家を出た恵理菜から妊娠を告げられ、泣き崩れる。なんでこんなことになってしまったのか。私の人生はどこで狂ったのか。…辛いだろうことは分かるのだが、隣に寄り添って泣ける気がしない。

「血のつながり」が重要なのではなく、「善悪」が大事なんじゃなく、目の前の人との間にどんな関わりがあるのか、だよね?という思いが、胸のうちに立ち上がってくる。

再生する家族には何が必要だったのか?

では何があったらこの物語の展開は変わったのだろうかということを考えてみる。

恵津子には、自分の傷つきを悼むプロセスが必要だったのだと思う。夫の裏切り、愛人の妊娠、その女がこともあろうにわが子を奪い去ったということ、さまざまな自分の痛みをそのまま愛人にぶつけ罵倒し、おそらく夫をも責め、帰ってきた恵理菜とも共有できない記憶に嫉妬し、ままならなさに切れるしかすべがなかったのだろう。

恵津子が、恵理菜を失っていた4年の間、専門的なサポートを受けて傷つきをプロセスし、夫をもう一度信頼し、娘が帰ってきたら本当に娘のことを第一に考えて、二人で育てよう、と準備ができていたらどうだっただろうか。
……ちょっとそれでも夫の意思や覚悟は弱かったかもしれない。夫・丈博 ( 田中哲司)も恵理菜の不倫相手・岸田(劇団ひとり)もどうにも日和見な描かれ方をしている。女の存在感に対比して男たちの弱さはこの映画の特徴でもある。

ともあれ親側の心のケアをしたうえで、中途養育の難しさに恵津子と丈博が正面から取り組み、「それまでの養育者との別離」「生活環境の大きな変化」という、恵理菜が4歳で直面していた心の傷を、専門家の力も借りながらゆっくりと癒し育てることができたらどうだっただろう。

こんなエネルギーで「新しい・実の両親」が関わってくれたら、恵理菜にとってどうだっただろう。
「離れていた4年間、あなたが辛い目にあっていなくてよかった。愛情を受けて育っていてくれて良かった。無事に帰ってきてくれて本当に良かった。あなたがいない間、私たちも本当に寂しくて、辛くて、早くあなたに会いたかったよ。やっと会えて本当にうれしいし、ここに居てくれて幸せだよ」

また恵理菜にも、定期的に親以外から気持ちを聴いてもらえるサポートがあったら。言語化できなかったとしてもその心のうちを、絵や箱庭や、音楽や、身体表現や、何か外にあらわすことができていたら。

誘拐という特殊な犯罪被害のあと、被害児にはじゅうぶんなメンタルケアがなされるのだろうか、と疑問に思った。

与えられなくても自ら獲得していく

しかし、与えられなかったケアも、やがて子どもたちは大人になると自分で獲得し始める。そこがこの映画の底に流れる力強い希望だ。
(※だとしてもケアは被害児・者に、そして加害者にも保障されるべきであるというのが私の考えです)

妊娠は、恵理菜にとって、初めての「確かな自分の味方」があらわれたような感覚なのではと想像する。
この子を産み育てたいと思う一方で、二人の母との関係が消化できていない恵理菜は、自分が子を育てることに不安がある。でもその気持ち「不安だ」を口にできたのは紛れもなく、恵理菜が持つ力だ。言葉にすることで、千草という味方の存在を確実なものにできた。
千草にとっても、力があるから助けるわけでく、自分も生きていくために、特殊な生い立ちを書いて対象化し、同士として恵理菜とお腹の子を応援する必要があるのだ。
恵理菜は、千草とともに希和子との逃避行の地を訪れ、過去にあった確かな愛の記憶をも自分の手中に取り戻す。

4歳以降これまでの人生ではどこか他人ごとだった「一緒に」「力を合わせる」「関わる」等々が、子どもの出現によって恵理菜にもたらされ始める。
「ひとりで生き残るなんて嫌だ」と言っていた蝉は、八日目からも生きることを決めたら、新しい世界を見ることができるのだ。

本作を観て、このレビューを読んで、よかったら感想をいただけたら嬉しいです。

Facebook
Twitter

<作品紹介>
DVD「八日目の蝉」
発売元/販売元:アミューズソフト
価格:4,180円(税込)
©2011映画『八日目の蝉』製作委員会