元受刑者が慕い続けた瞼の母映画の中の子ども・家族 vol.9『すばらしき世界』 文/水谷美紀

©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

人生の大半を刑務所で過ごし、今度こそ堅気になろうと苦闘する元受刑者を描いた大ヒット映画『すばらしき世界』。実は家庭に恵まれず、生き別れた母との再会を願い続けた男の物語でもありました。

佐木隆三の名作を西川美和が映画化

『ゆれる』『ディア・ドクター』などで知られる映画監督・西川美和の最新作は、受刑十犯、直近は殺人犯として服役した男の出所後の日々を描いた作品だ。実在の元受刑者をモデルにした主人公の三上役に役所広司、彼を番組に出そうと接近する元テレビマン・津乃田役に仲野太賀、そのほか長澤まさみ、橋爪功、梶芽衣子など俳優陣の演技も素晴らしく、すでに日本を代表する映画監督として堂々たる地位を築いている西川氏の、新たな代表作の誕生だ。

原作は『復讐するは我にあり』『死刑囚 永山則夫』などで知られる直木賞作家・佐木隆三の『身分帳』(講談社文庫)。1990年初版の傑作ノンフィクション・ノベルだが、映画は設定を現代に移し、登場人物のキャラクターもかなり肉付けされている。

©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

原作は人生の大半を刑務所で暮らした、いわば特殊な男の出所後の記録といった趣きが強いのに対し、映画は一度社会から落伍した人間や、標準の枠から外れた人間が幸福に暮らすことの困難さを浮き彫りにしている点が特徴的だ。西川監督は社会と格闘する三上の姿を描くことで、不寛容、貧困、差別といった現代社会が抱えるさまざまな問題が決して他人事ではないことを伝えている。また、三上と周囲の人間との交流も丹念に描かれており、観る者の心を強く揺さぶる。

ベストセラーだったこともあって、たまたま筆者は初版時に原作を読んでいたが、今回映画を観て非常に今日的な作品になっていたことに驚いた。映画を観終わったあとに原作を買い直して再読したところ、原作の魅力を再発見したとともに、映画では大胆に脚色されていた箇所も確認でき、改めて西川監督の脚本家としての力量にも感嘆した。

再出発に手を差し伸べる人々

出所した三上は生活保護に頼ることを嫌がり、一刻も早く職を得たいと奔走する。だが社会の風は冷たく、なかなか上手くいかない。カッとなる性格も災いし、あらゆるところで衝突を繰り返す。

一方で人間的な魅力もある三上の前には、彼を応援する人々も現れる。なにくれとなく世話を焼いてくれる弁護士夫妻(橋爪功・梶芽衣子)、過去を知りつつ友として付き合おうとする八百屋の主人(六角精児)、段々と親身になっていくケースワーカー・井口(北村有起哉)などは、まさに善意の人々だ。そのなかで、原作とは設定も少し変え、最終的にはまったく異なる関わり方をしていく青年・津乃田(仲野太賀)の存在は、映画全体の救いとして、そしてタイトルの意味を読み解くヒントとして、大きく作用している。

©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

このように、まさに『西川版・身分帳』として原作とは異なる魅力を放っている本作だが、原作でも映画でも共通しているのは、三上の生い立ちと、生き別れた母への強い思慕だ。

非摘出子として生を受けた三上は、父親の顔を知らずに育ち、4歳で施設に預けられている。割烹着を着て手を振っていたという母親の記憶だけを抱いて大きくなるが、その母親が彼を迎えに来ることはなかった。

施設を転々とした子供時代、三上にも養子になるチャンスがあった。だが縁と運に恵まれず天涯孤独のまま成長し、やがて非行に走り、人生のほとんどを刑務所で暮らすことになる。そんな彼がずっと願い続けてきたのが、母との再会だ。出所後には生まれ故郷の九州にある孤児院を訪ね、必死で母親の消息を尋ねる。

一生求め続けた母の愛

誰も信じず、後先も考えず、怖いものなしで生きて来た三上だが、母親に対してだけは無垢な心で慕い、辛抱強く愛し続ける。迎えに来てくれなかったのは事情があったからだろう、本当は来てくれたのに自分が孤児院を飛び出したから会えなかったのかもしれないと、決して母親を疑ったり、責めたりしない。犯罪者になっても、瞼の母は全面的に自分を愛し、微笑んでくれると信じて母親探しをする姿は、いじらしく、切ない。

©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

劇中、長澤まさみ演じるTVプロデューサーが、衝動的でキレやすく、犯罪に走りやすい人間の特徴と、幼児期の愛着との関係について示唆する場面がある。三上の凶暴性や衝動性が生育環境によるものかどうかは不明だし、映画でもあくまで推測にとどめているが、現代は『身分帳』が書かれた頃より研究も進んでおり、世間の関心も高まっている。そんな時代の流れも西川監督は見逃さない。愛着問題という視点から三上という人間をとらえてこの映画を鑑賞(あるいは再鑑賞)してみると、また違った発見や新たな感想が得られるのではないだろうか。

そう考えてこの作品を振り返ってみると、出所後に出会った温かい人々とのわずかな時間が、三上にとっては犯罪を挟まずに結ばれた、初めての家族的な繋がりだったのかもしれない。

●参考:『子どもの脳を傷つける親たち』友田明美(NHK出版新書)

(作品情報)
すばらしき世界
全国公開中  ワーナー・ブラザーズ映画
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
脚本・監督:西川美和
出演:役所広司 仲野太賀 六角精児 北村有起哉 白竜 キムラ緑子 長澤まさみ 安田成美/梶芽衣子 橋爪功
原作:佐木隆三著「身分帳」(講談社文庫刊)
subarashikisekai-movie.jp