世界的絵本作家の自伝的物語映画の中の子ども・家族 vol.7『ヒトラーに盗られたうさぎ』 文=水谷美紀

© 2019, Sommerhaus Filmproduktion GmbH, La Siala Entertainment GmbH, NextFilm Filmproduktion GmbH & Co. KG, Warner Bros. Entertainment GmbH
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ヒトラーが首相に選ばれた1933年のベルリン。幸福な日々から一転、不安な亡命生活を送ることになった9歳のアンナと家族。それでも彼らが失わなかったものは? 世界的絵本作家の実話をベースにした『ヒトラーに盗られたうさぎ』を紹介します。

 

迫害の手を逃れ、ドイツを脱出

舞台は第二次世界大戦前夜のベルリン。著名な演劇評論家アルトゥアを父に持つ9歳のアンナは、音楽家の母ドロテア、兄マックスと楽しく暮らしていた。ところがナチスが政権を獲得したことで、ユダヤ系ドイツ人である彼らの生活は一変。ラジオや新聞で激しくナチスやヒトラーを批判していた父は身の危険を感じ、まずは単身プラハに亡命する。やがてアンナも母・兄とともに国外へ脱出し父と合流、一家はスイスの山あいの村に身を落ち着かせるが、ベルリンに置いてきた家財道具がすべて没収されたと知り、今度は職を求めてパリに移住することになる。ところが思ったように仕事は得られず、ベルリン時代の裕福な暮らしとはまるで違う、苦しい生活が始まった──。

亡命生活を支え合う家族の姿

この映画は『おちゃのじかんにきたとら』や『ねこのモグ』のシリーズで知られる絵本作家ジュディス・カー(1923~2019)の自伝的ストーリーだ。1933年1月30日、ヒトラーが首相に選出されたのを機にベルリンを脱出したユダヤ系ドイツ人一家の逃亡生活を、ジュディスの分身である9歳の少女アンナの目を通して描いている。賞金つきで探される父、仲良しだったおじさんの死、苦しい生活に疲弊していく母、言葉がわからない学校生活に戸惑う兄妹と、次々に試練が訪れる。だが、明るく活発なアンナのキャラクターもあって重く暗い戦争映画というより、困難な時代を生き抜く少女のみずみずしい成長物語に仕上がっている。

Als Hitler das rosa Kaninchen stahl

原作者ジュディス・カーの父親であるアルフレッド・カーは、映画の主人公アンナの父アルトゥア同様、当時ドイツでかなり影響力のあったユダヤ系ドイツ人の演劇評論家で、初期から辛辣にヒトラーやナチスを批判していた。警察内部にいた信奉者から、ヒトラーが首相になったら真っ先に逮捕されるとの知らせを受け、映画同様ギリギリのタイミングで亡命している。彼らを逮捕するためにナチ党員が家を訪れたのは、まさに一家が国外に脱出した翌朝だったという。この後ドイツでは反ナチの作家の著書が大々的に焚書されたが、『エーミールと探偵たち』(1928年出版)や『飛ぶ教室』(1933年出版)などで知られるエーリヒ・ケストナー(注)などと同様に、アルフレッドの著書も燃やされたという。

(注)ケストナーはユダヤ人の血を引いていると言われているが本人はこれについて明言せず、あくまでドイツ人の誇りを賭けて反ナチを掲げ、戦争中も危険を顧みずドイツにとどまり続けた。党も世界的な作家であるケストナーに対しては手加減せざるを得ず、焚書から児童向けの書籍だけは除いた。

同世代のアンネとヘプバーン

先日、アメリカの連邦議会議事堂で起こった暴動事件に対し、元カリフォルニア州知事でオーストリア出身のアーノルド・シュワルツェネッガーが動画メッセージを発表したが、そのなかに出てくる『水晶の夜(クリスタル・ナハト)』がドイツ国内で起こったのは、この時から5年後のことだ。水晶の夜とは1938年11月9日夜に起きた、ナチ党によるポーランド系ユダヤ人迫害のための襲撃事件のことだが、無残に割られた商店や会社の窓ガラスが道を覆って輝いていた様子からこう呼ばれている。アンナ一家はポーランド系ではなかったが、あのままドイツに留まっていたら、遅かれ早かれ似たような運命に巻き込まれていただろう。

第二次世界大戦を生きたユダヤ人少女というと、日本ではジュディス・カーよりアンネ・フランクが有名だが、1923年生まれのジュディスと1926年生まれのアンネは同世代で、ベルリンとフランクフルトの違いはあれど、どちらもユダヤ系ドイツ人として裕福な家庭に生まれている。そして二人とも絵や文章の才能に恵まれた利発な少女という共通点もある。

だが、間一髪のところでベルリンを脱出し、最後はイギリスにたどり着いたことで生き延びたジュディス一家に対し、アンネ一家はフランクフルトからアムステルダムに移住し、隠れ家生活を選んだために、父親以外は命を落とすことになる。女優のオードリー・ヘプバーン(非ユダヤ人)はアンネと同い年で、やはりその頃アムステルダムで暮らしていた。少女の身ながらレジスタンス活動に関わり、内密でバレエ公演を行って活動のための資金稼ぎをしていた。戦争末期は食料すら手に入らなくなり、チューリップの球根を食べて飢えをしのいでいたというのは有名な話である。

しなやかな力で困難を生き抜く

パリに着いたアンナ一家は、それまでの暮らしからは考えられないような粗末なアパートメント暮らしを強いられることになる。裕福な家の娘で作曲家だった母は貧しい暮らしと苦闘しながらも徐々に追い詰められ、家庭の空気もぎくしゃくし始める。そんな暮らしの中でも、クリスマスにはなんとか子供達にプレゼントを与えようと工夫する両親の想いが胸を打つ。

Als Hitler das rosa Kaninchen stahl

さらに、ピアノのない亡命生活を強いられている母に、父から今できる最善のプレゼントが贈られる。裕福なベルリン時代ならもっと豪華なプレゼントも贈れただろうが、苦しいなかで相手のことを精一杯考えた末の贈り物は、他に替えられない価値を放つ。恵まれていた時には無自覚だった家族の存在の大きさや、本当の幸福は何かを問いかける象徴的なシーンだ。

やがて転機が訪れ、一家はパリを後にし、イギリスに向かう。せっかく覚えたフランス語もイギリスでは無用になり、一言も話せない英語しか通じない学校への転校が待っている。友達も、当然ひとりもいない。けれどもアンナはへこたれない。また一からやればいいと、事もなげに言って微笑む。ベルリンからスイス、パリと流浪した経験が、彼女をよりいっそう強くしたのだ。

Als Hitler das rosa Kaninchen stahl

そんなアンナ役には1000人以上のオーディションから新人のリーヴァ・クリマロフスキを抜擢。素直で野性味のあるアンナ役がぴったりのチャーミングな少女だ。一方、父親アルトゥル役には大ヒット映画『帰ってきたヒトラー』で(なんと)ヒトラー役を演じていたオリヴァー・マスッチ。ヒトラー役のときにはわからなかった美形を披露し、知的で高潔な父親役を好演している。

困難な状況に陥った時、家族がいることが支えになる場合もあれば、軋轢を生むこともある。追い込まれて余裕をなくすと、人はつい誰かを責めたくなったり、自分の不機嫌や不満をぶつけたくなる。だが、亡命という過酷な運命のなか、それでも創造的で伸び伸びと暮らすアンナと、知性と行動力があり「神は信じないが感謝は信じる」と語る父アルトゥアの姿は、時代の流れや思わぬ不幸、生活の激変に遭っても、安易に翻弄されずしなやかに生き抜くことの大切さを伝えている。

映画館に足を運ぶのが普段より難しい今だが、内容もタイムリーで埋もれるには惜しい。11月の公開からロングラン上映されているのも納得の作品だ。

<作品情報>
ヒトラーに盗られたうさぎ
© 2019, Sommerhaus Filmproduktion GmbH, La Siala Entertainment GmbH, NextFilm Filmproduktion GmbH & Co. KG, Warner Bros. Entertainment GmbH

シネスイッチ銀座にて全国順次公開中!

監督:カロリーヌ・リンク(『名もなきアフリカの地で』)
原作:ジュディス・カー(「ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ」評論社刊・現在は絶版)
脚本:カロリーヌ・リンク/アナ・ブリュッゲマン
出演:リーヴァ・クリマロフスキ・オリヴァー・マスッチ・カーラ・ジュリ

2019年/ドイツ/ドイツ語/カラー/スコープサイズ/5.1chステレオ/119分/原題:When Hitler Stole Pink Rabbit
後援:ゲーテ・インスティトゥート東京
協力:朝日新聞社
配給:彩プロ