- 2019年11月19日
- _レビュー
そして映画は作られる映画レビュー『夕陽のあと』
特別養子縁組をテーマにした映画『夕陽のあと』が話題を呼んでいます。映画を観終わったあとに、私たちにできることは何だろう。社会福祉士であり、『まだ見ぬ あなたに』エグゼクティブプロデューサー佐藤剛がレビューします。
映画は素晴らしい俳優と共に作られる
本作『夕陽のあと』を観終えたときに、思い浮かんだのが、「そして母になる」というフレーズだった。
是枝裕和監督の『そして父になる』は、実際にあった赤ちゃんの取り違え事件から着想された作品だった。主人公である父親がその現実を受け止め、受け入れ、父になっていく物語であった。母親よりも、父の葛藤に焦点を当てた作品だった。
本作『夕陽のあと』は、特別養子縁組制度成立寸前の子どもの話である。主人公は生みの母である女性(貫地谷しほり)と、育ての母である女性(山田真歩)の物語である。
特別養子縁組により法律的に親子になる直前に、生みの母である女性が、その子どもの前に現れる。そこから物語は動いていく。今回は母に焦点を充てた作品であり、本作品は『そして父になる』とセットで観ておくべき作品として位置付けてみたいと思う。
生みの母である女性を演じた貫地谷しほりの演技が素晴らしい。壮絶な過去と闇を抱えながら、母であることを諦めない女性を見事に演じている。
育ての母である女性を演じた山田真歩の演技も素晴らしい。母であることの不安を抱えながら、母として日々生活をしていく女性を見事に演じている。
劇中二人が対峙するシーンがあり、それが物語を進めていくことになるのだが、特に、育ての母である五月(山田真歩)が、生みの母である茜(貫地谷しほり)を詰るとき、茜の過去を道徳的に否定するのではなく、五月自身が母親でなくなるかもしれないという不安から、茜(貫地谷)を詰っていることが見事で、育ての母の不安や苦悩を体現した素晴らしい演技だった。
映画は町の人たちと共に作られる
冒頭、鰤漁に勤しむ漁師たちが一列に並び網を引き上げられ、引き上げられた鰤たちは直ちに活け締めされる。そこには確かにリズムがあり、少年たちが練習する太鼓のリズムと確かに共鳴している。この町が持っている生命力をそのリズムから確実に感じ取ることができる。
漁師の頭(かしら)であるらしい豊和の父(永井大)の船上での笑顔がそのことをはっきり示す。次のシーンで、少年とその祖母は、朝ご飯を食べている。そこで海老かカニのような具の入ったみそ汁を飲んでいる。この作品は海の恵みを頂きながら、生活を続けている鹿児島県長島町が舞台となっている。
パンフレットを読むと、この作品は長島町で生活する人たちが自分達で企画し、お金を集めて制作された作品だと書かれており、この作品は街全体の生命力のなかから産み出したということにさらに驚く。
老若男女が一同に会する宴会のシーンでは、プロの俳優と町民の方が混じり合っていて、その混ざり合い具合が画面を確実に豊かにしている。この作品は町の人たちと共に作られている。
映画は時代と共に作られる
今回の主題となっている特別養子縁組制度や里親制度の基盤となっている児童福祉法は2016年(平成28年)に改正されている。このなかの大きな改正点が、子どもの福祉を実現するために家庭養育を原則にしようというものである。
これまで日本においてスタンダードであった乳児院や児童養護施設という所謂「施設」ではなく、原則「家庭」のなかで子どもたちが養育されるべきであるというふうに法律が改正された。今後今回のもう一人の主人公である豊和君のような子どもが、里親宅で生活することは増えていくことになる。
この作品はその時代の変化のなかで生まれており、時代に呼応した作品とも言える。欧米では、養子を題材にした映画はたくさん制作されてきたが、日本でもこれから増えてくるのではないかと思う。河瀬直美監督が、辻村深月原作の『朝が来る』を映画化していると聞く。時代の変化と共に映画は作られていく。
映画はフィクションの可能性と共に作られる
小学校1年生くらいであろう豊和君には、二人の母親がいる。
1人は生みの母であり、もう1人は育ての母である。この二人は、お互いを否定し合う。生んだ母は、自分自身が生んだことの優位性と、育てた母は、自身が共に暮らして育ててきたことの優位性をぶつけ合う。
観ている者はどちらの側に付いていけばよいのか分からなくなり、ただただ心が締め付けられるように画面を見つめるしかない。
このままお互いをエキサイトさせ、暴力の応酬に向かわせることで、物語を進めることもできたかもしれないし、現実にはそうなる場合の方が多いかもしれない。
しかし、この作品は違う。越川監督は、二人の母がお互いを理解し合える方向に物語を進める。ここにフィクションの可能性を感じずにはいられない。育ての母は、生みの母の過去を理解し、生みの親は、育ての母の一緒に過ごした時間の重みを理解する。
ラスト直前、不安定ではあるけれども、ここしかないという舞台で(それがどこかは観てのお楽しみ)、二人の母は夕陽の下、お互いを受け入れる。ここで二人は母になることができたのだと思う。
生んだ、育てた、どちらが優位なのではない。お互いの存在がなければ、この子はこの世に生を受けることもなかったわけだし、こんな素敵な子にも育っていなかった。二人はそのことを理解し合えたのだと思う。
映画を観終わった私たちは
現実はフィクションを超えていくのが常であって、おそらく現実の社会のなかでは、生みの親と育ての親の間の葛藤やトラブルが身近できっと増えてくるだろう。
映画を見終わった私たちは、長島町のような世界がなくても、生みの親と育ての親が、その子どものために協力し合うことができるのだと信じて、働きかけを続けていかなくてはならない。
私たち自身が夕陽のように二人の母を包み込むような存在になれるのか。そして自分にできることはなんだろう。そんな宿題をもらった気がする。
最後に一言だけ。
児童相談所とそこで働くソーシャルワーカーが登場しますが、かなり脚色されてあって、現実の運用とは異なる点もあります。
児童相談所やそこで働くソーシャルワーカーを描いた作品が作られるべき時期が、もうそこまでやってきているのではないかと思います。
(作品情報)
監督:越川道夫(『海辺の生と死』)
出演:貫地谷しほり 山田真歩/永井大 川口覚 松原豊和/木内みどり
脚本:嶋田うれ葉
音楽:宇波拓
企画・原案:舩橋淳プロデューサー:橋本佳子
長島町プロデュース:小楠雄士
撮影監督:戸田義久
同時録音:森英司 音響:菊池信之
編集:菊井貴繁 助監督:近藤有希
製作:長島大陸映画実行委員会制作:ドキュメンタリージャパン
配給:コピアポア・フィルム
2019年 日本
公式URL:yuhinoato.com