「沈没家族」が与えてくれたもの 〜共同保育を体験して〜【後編】加納土(映画監督)×高橋ライチ(カウンセラー)

90年代半ば。シングルマザーだった加納穂子(ホコさん)が始めた共同保育の場、沈没ハウス。現在、息子の加納土(かのう・つち)監督が撮影したドキュメンタリー映画『沈没家族 劇場版』が話題を呼んでいます。前編では監督と沈没家族のメンバーで出演者でもある高橋ライチさんに、当時の話を中心にうかがいました。後編は、沈没ハウスを出た後のそれぞれの歩みと、共同保育についてそれぞれの想いをうかがいます。(前編はこちら)

「沈没家族」後の、それぞれの歩み

沈没ハウスでの生活は、八丈島への移住で突然、終止符が打たれますね。

加納土監督(加納監督): 小学校3年生になり、ずっと大人がついていなくても大丈夫になったなど、移住した理由は色々あったと思います。けれども今になってホコさんが言っているのは、あの頃、最初に自分が求めていたことと沈没家族での生活が違ってきていた、ということです。メディアに出たことで新しい子育ての旗印、共同保育のリーダーみたいに見られるようになり、ホコさんが何か言うと、それで人が動いてしまうという状況になりつつあったそうです。それに対する違和感も、ホコさんが沈没ハウスを出たくなった理由のひとつのようです。

二人が八丈島へ移住することは、ほかの住人には突然、知らされたという。「相談というか、報告だったよね」と、当時を振り返る高橋ライチさん(左)と加納土監督(右)

加納監督:沈没家族での日々も強烈でしたが、八丈島での生活も、あれはあれで壮絶でした(笑)。年月としては沈没家族より長いですし。ほとんど地元出身の人しかいない土地だったこともあって、イジメにも遭いました。

実は、自分の育った沈没家族という環境が変わっていたと気づいたのは、八丈島に移住してからなんです。沈没家族の中にいた頃は、あの生活を当たり前だと思っていた。たまに「たくさん人がいていいね」と言われる程度で、共同保育について何か言われることもなかったので、分からなかったんです。

現在ホコさんが八丈島で主宰している「うれP家(や)」について教えてください。

うれP家は、月に1回、いろいろな人が集まる交流の場です。ホコさんは社会福祉協議会で働いていましたが、多くの交流の場が、障がいのある人だけを対象にしていたり、お年寄りだけを対象にしているのを見て、そういったカテゴライズにこだわらない場を作りたいと思い、うれP家を始めました。障がいがあってもなくても、若くても高齢者でも関係なく、誰でも来れる場です。最近は小学生も来ています。

結果的にまたたくさんの人が集まる場を作っていますが、人のためにやっているという意識はないと思います。ホコさんは常にそのとき自分のやりたいことに忠実な人で、沈没家族も、誰かのために、という意識はまったくなかったと思います。自分のやりたい場を作ったら、たまたまそこに人が来た。それだけのような気がします。

写真家としての活動は今もされているのでしょうか。

加納監督:写真はずっと撮っています。ただ、忙し過ぎて現像が追いついてないですね。

土さんはご両親のように写真家になろうとは思わなかったのでしょうか。

思わなかったですね。ただ、色んなところでホコさんや山くんの影響を受けているとは思います。

ライチさん:ホコちゃんは映画も好きだったよね。沈没ハウスにいた頃も、ホコちゃんはレイトショーによく行っていました。

加納監督:映画に使っているNHKのドキュメンタリー映像のなかに、佐野史郎さんのナレーションで「今日もホコさんは外出しなければいけません。行き先は、なんと映画館」というのがあるんですけど、「なんと」ってつくところが、当時の世間の態度を表していますよね。お母さんが子どもを置いて映画を観に行くなんてありえない、ってことですから。

ライチさん:確かにあの時代、わたしも子どもを産んだ瞬間、自分から文化性みたいなものがバリバリと剥がされて「お前は子育てだけをしていろ」って言われているような気がしてたなあ。

「そういえば、あのときホコさんが出かけて行った映画館ってここ(ポレポレ東中野)だったそうです。ホコさんから聞きました。不思議な縁ですね」と監督。

「映画館ももっと赤ちゃん連れで観れる回が増えるといいですね。子ども向けの映画ばかりではなく、大人向けの作品でも」と、エンライトで映画コラムも執筆しているライチさん。

子育て中に救われた、大人と話す時間

—現在のライチさんの家族構成と、活動について教えてください。

ライチさん:めぐは現在、家を出て別の場所で生活しています。今は第二子と、彼女とは血の繋がりのない今の夫と、シェアメイトの大学生の4人で暮らしています。

夫は、めぐのことも、第二子のことも、シェアメイトの女の子のことも、全員娘だと思っていて、「娘たち」って呼んでいます。めぐが独立する際にシェアメイトを入れたいと言ったときも、快く賛成してくれました。夫に関しては、わたしと知り合って理解が芽生えたというわけではなく、もともと今のような考えの人だったんです。

加納監督:共同保育やシェアメイトとの生活は、世帯でおこなうものである以上、一緒に生活をする人同士の意見が一致しないと実現は難しいですよね。

ライチさん:その点は本当によかったですね。時々、言われるんです。「うちも留学生を受け入れたり、若い人を下宿させたりしたいけど、夫がダメって言うから」って。妻の側は色んな子育てを共有したいと思っているのに、夫が反対するので実行できないという人は多いです。

—子育ての社会化、というようなことについてはどう思いますか。

ライチさん:ケアの社会化、というソリューションを進める前にまず、そもそも今の子育て体制には「無理があるよね」ということにみんなで気付こうよ、と思っています。子どもと関わりが薄い人だけでなく、幼保の職員や学校の先生、配偶者ですらその大変さに無頓着なケースもあります。

赤ちゃんを育てている間、お母さんは大人と話す時間が圧倒的に少なくなります。わたし自身、第一子のめぐが産まれて離婚に至るまでの期間、日常を共有して話せる相手がいないことが本当につらかった。

けれども、沈没ハウスに住むようになったら、子育てで精神的に追い込まれそうになっても、そこにいる大人と話すことで自分を取り戻せたんです。今、そんな時間を少しでも提供できたらと続けているのがリスニングママ・プロジェクトの活動です。
(リスニングママ・プロジェクト https://lis-mom.jimdo.com

加納監督:沈没ハウスで育ってよかったことは、価値観が一つじゃない環境、いっぱい大人がいた場所だったことだと思っています。保育者は年齢も性別も性格もそれぞれ違うので、僕に対する接し方も一人一人違っていました。向こうからすごく近づいてくる人もいれば、一人でいるところに僕の方から近づいていくということもあったし。凡庸な言い方になりますけど、やはり多様な価値観のなかに子どもの時からいたことで、世界は広く、いろんな人がいるということを、早くから知ることができました。

それと、例えば食事のルールも人によってバラバラなわけですが、いちいち全て相手に合わせる必要はなく、自分で最適解を見つけないといけない。自分はどうすればいいのか、どれを選べば快適なのか、ということをつかむ訓練にもなったと思います。それは多少、今の自分を作るのに影響したかもしれません。

実際、保育者の大人全員と仲良くしていたわけでもないんです。子ども心に、苦手というか、ちょっとタイプじゃないな、と思う人ももちろんいました。そういうときにどう距離を置くか、逆に、好きな人にはどう近寄ればいいかも、自然と考えるようになるわけで。いろんな人がいるところで生き延びる術を身につけたとも言えます。ただ、沈没家族で育たなかった僕はいないわけですから、実際のところどう影響しているのかは、わからないですよね。

小さい頃の「土くん」は感情をストレートに爆発させる子ですが、今の監督は穏やかですね。

ライチさん:それはわたしも再会したときに感じました。体もだけど、人としても大きく成長したのかな。躍動感から安定感に移行したのか、って。小さい頃はあんなに飛び跳ねていたのに、あのまま大きくはならなかったんだ(笑)。

加納監督:たしかに、いきなり暴れたり呪詛を吐いたりというキャラには育ちませんでしたね(笑)。あの頃に一生分キレたのかもしれません。

ライチさん:共同保育の良いところは、子どもが激しくひっくり返ったりする自己主張が、「お母さんのバカ!」といった形で母親だけに集中しない。たくさん周りに人がいるので、怒ったりわめいたりしても、誰も傷つかなくて済むんです。

母子だけで暮らすと互いだけしかいないので、そうはいきません。でも他人がいることで衝突が和らいだり、みんなで一緒にネタとして話せたりするんです。ホントこんな風に暴れてすごいよね、とか、昨夜はこうだったんだよ、と話題にできる。

沈没家族にはみんなが書き込む保育ノートがあったのですが、あれも良かった。電話の上にぶら下げてあって、いつでも誰でも読めるようになっていました。

映画館ポレポレ東中野に展示されている「保育ノート」

加納監督:保育園や学校の連絡ノートは単純に状況を伝達するだけのものなので、客観的に書きますよね。でも沈没家族の保育ノートはそれぞれの主観がゴリゴリに入っています。これに対して俺は怒ってるとか、土が初めてこういうことをしたから嬉しかったとか。そこがすごくいいなと。書いている人も、ホコさんだけでなく、沈没のメンバーみんなに読んで欲しくて書いているんです。

ライチさん:さらに、他人と暮らすことの何が良いって、放っといてくれることだと思うんです。沈没家族には色んな大人がいたけれど、共存しつつも平行して生きていて、極端に干渉し合わない。そこがすごくラクでした。

わたしが中高生のころ、母と姉と6畳2間で生活していて、本当にきつかった。血縁だとなんの遠慮もなく境界を超えてくるんです。一人にしてくれないし、むちゃくちゃ干渉してくる。相手を傷つけても平気だったり、意思を無視したり。

けれども沈没家族での生活に、そういった息苦しさはありませんでした。例えばタオルを毎日洗わない人がいたとしても、「毎日洗いなさいよ」などど、他人の生活にそこまで口を挟みませんよね。でも家族だと、余計な一言をつい言ってしまう。そういうことが他人同士だと起こりません。そこは本当にラクでした。ですからわたしは今後も、他人が加わった形以外では、むしろ人と住みたくないと思っています。夫や娘とも、二人きりでは住みたくないですね。

共同保育がうまくいっている一方で、子どもにとってやはりママが一番、という価値観も垣間見えます。

加納監督:僕の場合は、ホコさんだったから、という理由で執着していたということもあったかもしれません。血が繋がっているからということでもなく、圧倒的に一緒にいた時間が長い相手であったことと、やはり彼女が特別な人であったからだと思います。

ホコさんがあの場にいなくて、別の大人が圧倒的に長い時間、面倒をみてくれていたら、その人に執着したかもしれません。そういう意味では、特別な人がいない状況で不特定多数の大人に保育されたのではなく、一人でいいから柱になる人、僕やめぐの場合たまたま血の繋がった母親でしたけど、大きな存在の人がいてくれたのは良かったと思います。

漫画家の藤枝奈己絵(ふじえだ・なみえ)さんも沈没ハウスの元メンバー。パンフレットにも寄稿している。

—沈没家族にデメリットはありましたか?

加納監督:僕もそれはしのぶさんにうかがいたいです。僕は当事者とはいえ子どもだったし、映画もポジティブな面を描いていますが、難しい面はあったんでしょうか。

ライチさん:住人にとって沈没ハウスは生活空間だったので、外から人が来るから着替えなきゃ、みたいなことはありましたね。実際には着替えなかったけど(笑)、ダラダラできない気持ちになることはありました。そんな時は個室に行けばよいわけですが、共有スペースにキッチンもお風呂場もあったので、住人の生活時間と来客の時間、誰の来客なのか、沈没全体の来客なのか、など複雑なところはありました。来る人も親しい人ばかりじゃないし、初めての人もいるし。反対にしょっちゅう来る人もいたりして。

加納監督:よく来る人も保育だけをしに来ていたわけではなくて、漫画を持ってきてくれたり、それを自分も読みに来たり、ビール飲んで寝てたり。家族を味わいに来ている感じかな。

ライチさん:共有スペースに友人を招いたりするときに、他のメンバーと互いに気を使ってしまうので、その点は不自由に感じました。わたしは家でもいろんな催しをしたくて沈没ハウスを出たのですが、実はそれが失敗だったんです。自分たちだけになったら、一気に閉じてしまって。お客さんは、来てはくれるけど、帰っちゃうじゃないですか。あ、そうだ、帰るんだよな、って。

その時は、わたしと、第二子と、そのときのパートナーと3人で暮らし始めたのですが、結局煮詰まってしまって、「ああっ、しまった!」って(笑)。その後、パートナーと別れたら今度は子どもとの二人暮らしになってしまったので、これはまずいと。その後、今の夫と出会い、現在はシェアメイトも加えて4人暮らしになり、とてもいい状態で暮らせています。

加納監督:沈没ハウスを出たことを後悔した時期があったんですね。

ライチさん:うん。あったじゃなくて、けっこう後悔してたよ。

沈没ハウスは現在もシェアハウスとして継続中とのこと。当時のメンバーで今も住み続けている人もいるのだとか。ライチさんの第二子は沈没ハウスで誕生しています。

また、みんなで赤ちゃんを育てたい

—では今のライチさんの家族形態は、ミニ沈没家族のようなものなのですね。

ライチさん:あと、赤ちゃんが足りないんです(笑)。今は子育て世帯と住みたいという希望があります。里親になりたいけれどシングルだから出来ないという人も一緒に生活して、みんなで赤ちゃんを育てたいですね。里親は成人が二人以上いないとなれないので、その一人になりたいと考えています。体力的にも集中力的にも一から子育てするのは難しいけれど、サポートする側にはなれると思うので、実現させたいですね。わたしが子育てを沈没に関わったみんなの存在に助けてもらったので、今度は子育て渦中の親子のそばにいて必要な助けや息抜き場になれたらと思います。

加納監督:僕は正直まだ、自分が子どもを育てるということが考えられないのですが、自分の年齢のときにホコさんにはもう僕がいたわけです。僕たちには沈没ハウスがあったけれど、頼れる人が誰もいない状況で、母親と小さい子どもが二人だけで生きるというのは本当に大変なことだと思います。一緒に子育てしてくれる大人が他にいたら、かなり心強いですよね。

自分の経験上、血の繋がりのない子育てに関わるという選択肢は、めちゃめちゃあります。ただ、今から絶対そうすると決めて、それをゴールにしてしまうのも違うように思うので、今はまだその選択に関しては余白を残しておきたいです。

今は安全面からばかりでなく、子どもを一瞬でも他人に預けない傾向があります。

加納監督:今は、ゆるっとした関係のなかで子ども預けるというのがやりづらくなっているんじゃないでしょうか。知り合いや友達を頼るくらいなら、お金を払ってベビーシッターを雇った方がいい、ビジネスライクなほうが頼みやすいと。あと、子どもというものが特別になり過ぎているとは感じますね。他のことはゆるくても子どもだけは、という感覚が強くなっている気がします。

ライチさん:近所の人や友人知人だと保険も入っていないので、不安だという気持ちはわかります。それ以前に、子どもを他人に預けることに対し、罪悪感を抱く人が少なくありませんし。そんな中でも預け合いをしている人たちもいますが、教育方針や、何を大切にしたいかという優先順位が一致していないと上手くいかない、という話はよく聞きます。

ただ、子を親の作品みたいに思っていると、責任感を抱き過ぎてしまって、人に任せられないとか、自分の手だけで育てなきゃとか、こんなこともできないのはわたしが至らないからだという考えに、どんどんなって行きます。けれども、全ては子ども本人の持ち物であって、親の持ち物じゃない。本来、子どもの命を大事に育むことだけが、大切なんだと思います。

この映画を、どんな人に観てもらいたいですか。

加納監督:これから子育てをする僕と同世代や、もっと若い世代の人にも観てもらいたいですね。普段ドキュメンタリー映画に馴染みのない人もぜひ一度観てもらって、家族について考えるきっかけにしていただけたら嬉しいです。

ライチさん:私はぜひ、子育て世代、今まさに子育てをしている真っ最中の人にも足を運んでもらいたいです。

この映画みたいに暮らすといいよという話ではなく、ポスターにあるように「家族って、なんなんだ!?」をそれぞれが持っている枠をはずして考えたり、話したり、受け入れたり、という動きにつながったらいいなと思います。(了)        (前編はこちら)

(作品情報)
90年代半ば、シングルマザーの母が始めた共同保育の試み。約20年後、大学生になった加納土は、自分が育った「沈没家族」とは何だったのか、そして家族とは? という問いを抱え、かつて生活をともにした大人達を訪ね、母と父にもカメラを向ける。大学の卒業制作として作られ、PPFなど映画賞を受賞したファミリーヒストリー・ドキュメンタリーが、劇場版になってついに公開。ポレポレ東中野ほか全国にて公開中。

監督・撮影・編集:加納土
音楽:MONO NO AWARE(主題歌『A・I・A・O・U』)玉置周啓
製作年:2018
配給:ノンデライコ
公式サイト:http://chinbotsu.com
©おじゃりやれフィルム

文・水谷美紀  写真・長谷川美祈