家族の幸せを目指して【中編】【中編】二葉乳児院・家庭支援専門相談員・酒井久美子主任インタビュー

家庭支援専門相談員(ファミリーソーシャルワーカー)とは、乳児院に入所しているお子さんの早期家庭復帰、親子関係の再構築、そして里親委託などの支援を行う職種です。平成11年(1999年)に乳児院から配置され、その後、平成16年には児童養護施設にも配置されました。

虐待相談件数の増加、家庭養護推進などを背景に、親と離れて育つお子さんとその家族を支援する家庭支援専門相談員の役割は、ますます増しています。二葉乳児院の家庭支援専門相談員である酒井久美子主任に、支援の実際とその課題などについてお話をお聞きしました。

児童養護施設入所の長期化

家庭支援専門相談員は乳児院においてどのような役割を担っていますか?

酒井久美子主任:家庭支援専門相談員(ファミリーソーシャルワーカー)は、平成11年から乳児院に配置された職種です。

乳児院はお子さんの養育のための施設ですから、親御さんへの支援については、それまで児童相談所が担ってきました。しかし、児童相談所への虐待相談が増えていくなかで、児童相談所のソーシャルワークは手が回らない状態になっていました。「虐待が疑われたら親子を分離して、子どもは施設で育てる」というような対応だけでは、子どもが家庭で暮らす権利を奪うことにもなってしまいます。

そこで、乳児院にソーシャルワーカーを置いて、児童相談所と「家族と子どもの早期再統合」に向けた支援を協働していくことになったのです。私が二葉乳児院で勤め始めたのは平成21年(2009年)ですので、家庭支援専門相談員が配置になってから10年目でした。

―酒井さんが乳児院に勤めることになったきっかけは

最初は金融関係の一般企業に勤めていました。当時は結婚退職が当たり前の時代でした。退職した後、祖母の介護を経験しました。その後、社会復帰を志し、「介護の仕事が向いているかも」と思ってヘルパーの資格を取得し、福祉人材センターで求職相談をしたところ、私が中高の教員免許を持っていたことから、「子どもの施設は興味がありませんか?」と児童養護施設を紹介されました。

その頃の私は児童養護施設と養護学校の違いも知りませんでしたが、「介護の仕事はもっと後になってもできるから」と助言され、児童福祉の世界に飛び込むことになりました。

児童養護施設で働き始めた頃は、虐待件数が年々増えていた時期で、施設での養育のあり方も過渡期にありました。それまでの児童指導員は、教育的指導と言いますか、「子どもを一人前にして社会に出す」という発想が強かったと思います。しかし、「虐待」という傷を背負ったお子さんの入所が増えてきて、施設の集団生活に慣れるどころか、学校にも行けないお子さんも出てきたのです。施設職員の専門性は何か、問われる時期でした。

私自身は、児童養護施設で働きながらも、子どもの施設生活が長期化していることが心配でした。もっと早い段階から、家族を再統合する必要があるのではないかと思いましたが、施設に入所して月日が経つと、親御さんも子どもが居ない生活に慣れていってしまう傾向が見えてきました。

「子どものためには、もっと早い段階、乳児院にいる時期に方向性を変えなければいけないのでは」と考えを巡らせているときに、ここの求人を見つけて乳児院で働くことになりました。

乳児院に来てから見えてきたのは、乳幼児期の1年ないし2年を乳児院で過ごすのは、赤ちゃんにとっては長すぎる、ということです。児童養護施設も含めて18年間過ごすとなると、子ども時代のすべてを施設で過ごすことになります。それは避けるべきだと思いました。

早い段階でのアセスメントが必要

なぜ児童養護施設での入所が長期化していくのだと思われますか?

施設職員としては、施設での生活がそのお子さんにとって安定したものになるように努力をするわけです。地域の幼稚園や習い事教室に通い、施設や学校や遊びの集団のなかでトラブルが起きないように配慮し、そこに根付いて暮らせるようにするのは、施設職員としてのあるべき姿だと思います。

しかし、そうなると子どもの世界はそこで固定されてしまい、そこから外れること、つまり家庭に戻るとか、里親さんのところに行くことに、不安を覚える場合もあるのだと思います。

ですから、家庭が子どもの養育環境として適切になったと判断されたのなら、早い段階でしっかりアセスメントをして、方向性を決めてあげないといけない。乳児院から児童養護施設に移り、そこでの生活に慣れていくと、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

やはり子ども時代に集団生活だけで過ごすべきではない、と私は思います。家庭で特定の人の愛情を受けて育つことが大切ではないでしょうか。乳児院のお子さんは、第一の選択肢としては、家庭に帰る体制を整えること。それが難しい場合には、早い段階で里親さんへの委託を目指します。国からも『新しい社会的養育ビジョン』が出ており、今は里親委託を推進していく大きな過渡期でもあります。

一時保護で入所する数が増加

酒井さんの職務においてはどのような変化がありますか?

一時保護で入所するお子さんが増えてきたことです。警察も協力する形で虐待と判断して、親の同意なく職権で分離して一時保護されるお子さんの人数が、ここ数年、措置されるお子さんよりも増えました。

こうした状況下では、必然的に支援の質も変わっていくことになります。一時保護は入所している施設名が親に伏されることが多く、私は親御さんとは会えない状況でのソーシャルワークをしなくてはなりません。直接ではなく、間接的なソーシャルワークのあり方を考えていく必要があります。

児童相談所は虐待相談の対応でとても忙しいので、私は一時保護されたお子さんの親がどのような状況にあるか把握するため、児相が少しでも余裕のある時間帯に電話をかけてやりとりをしています。それと同時に、こちらでお預かりしているお子さんの様子もこまめに報告をします。

そうしたやりとりのなかで出てきた情報を集めて、ある程度の見立てをしていくことになります。「お子さんの現在の様子は、ここに原因があるかも」ということもだんだんわかってきます。

虐待か否か、医療的知識も必要

ご家庭に戻してもいいかどうか、見極めは難しいとお聞きしますが?

乳児は「こんなことをされた」ということを言葉で説明できません。虐待か、事故なのか見極めが難しいケースもあります。

先日も、頭部のケガが転倒によるものなのか、虐待によるものなのか、判断に迷うケースがありました。「つかまり立ちで転倒したという理由だが、この月齢でつかまり立ちは早いのでは?」と疑われ、一時保護をして検証されていました。このケースでは、たまたま親御さんが成長記録の動画を撮っており、日付も入っていたことから、その動画が証拠となりましたが、それでも「虐待の可能性は残る」という判断になりました。

『AHT/SBS―外傷性の揺さぶり』の判断も難しいです。硬膜下血腫、脳浮腫、眼底出血という症状が発見されると、虐待の疑いありで親子分離となることも増えています。明らかな虐待だと判れば、親子分離が急がれます。しかし、虐待ではなかった場合、愛着形成が重要な乳幼児期に親子が離される期間が長くなることは、大きな衝撃になるわけです。非常に悩ましいです。

このように、虐待か否かの判断がソーシャルワークに影響を与えることから、ソーシャルワーカーはもちろん、ケアワーカーであっても医療的な知識も必要になってきていると思います。

乳児を引き受けてくれる養育里親が少ない

―里親委託へつなげる支援についてはどのようなことをなさっていますか?

里親委託について、昔は「2歳になるまでに里親家庭へ」という考えが一般的でしたが、できるだけ早い方がいいという方向性に変わってきました。乳児期の里親委託であっても、生後6~7か月ごろから一般に人見知りの時期に入り、里親子の交流も忍耐強くやらなくてはいけないケースもありましたから。里親さんとの愛着関係をスムーズに作っていく上でも、生後できるだけ早く、委託できるお子さんはすべきだと思います。

ところが、養育里親さんがなかなか見つからない現状もあります。養子縁組を前提とする里親さんはたくさんいらっしゃいますが、乳児を引き受けてくださる養育里親さんがとても少ないことが課題です。

また、年齢の近い兄弟の場合、同じ里親家庭にいければよいですが、一緒に引き受けてくださる里親さんも少ない。兄弟が別々の里親家庭で育つより、一緒に児童養護施設に居た方がいいのかどうか、別々の里親家庭にいても兄弟交流ができればいいのではないかなど、さまざまな側面から検討する必要が出てきます。

母親自身の「生い立ちの整理」が必要

これまでどれくらいの方の支援をしてこられましたか?

家庭支援専門相談員としては、この10年近くで600人ほどのケースに対応してきました。お子さんが家族の元に戻ることができたときはうれしいですし、家庭に戻れたからそれで大丈夫ではなく、その後も乳児院として出来うる支援をしています。お手紙をくださったりして、無事に生活されているご様子がわかると、心から喜びを感じます。

経済的な事情を抱えている方には、仕事を見つけて生活を立て直すための福祉相談も行います。シングルの方には、母子生活支援施設などの利用を提案するなど、さまざまな社会資源を利用して、早期親子再統合を模索します。

支援において何より大切なのは、養育に困難を抱えているその方のお話をじっくりお聞きすることです。なかでも、その方が親になる前や出産時のお話をお聞きすること。子育てに困難を抱えている方のなかには、ご自分の「生い立ちの整理」ができていないこと、出産時の思い起こしができていないことも多いのです。お子さんとの面会で回数を重ねていき、お子さんの成長を共に喜び合うなかで、その方が育ってきたときのエピソードがポロッと出てくる。その部分を丁寧に聴きとっていきます。

生い立ちの整理といっても、その方が開示できる範囲で構わないのです。他者に語ることによって、聞き手があいづちを打ちながら受け止めることによって、プラスに置き替えていくことができるような時間になるように心がけています。

乳児院でのサポートを受けながら、親御さんご自身も変わっていかれるのですね?

高齢出産の後、お母さんのお病気が悪化し、3歳近くまで乳児院と二人三脚で子育てをした方から、お礼のお手紙をいただきました。

「今思うと自分たちだけで子育てを行うことは想像しづらく、かなりの困難が待ち受けていたことと思います。社会全体で子どもを育てていくということを初めて意識して考えるようになりました。そして、そういった考えがもっと広く社会に浸透していけば、豊かな社会に成っていくのではないかと、僭越ながら思っております。」と綴ってくださいました。

親御さんから届いたお手紙

このご家族は、お母さんのご病気によって、乳児院の協力を得ながら子育てをするなかで、仕事一筋だったお父さんが「子育てに向き合う」方向に変わっていかれたことがとても印象的でした。そこに至るまでに、それぞれ個別にお話をお聞きして、ご自分で子育てしたいけれどそれができないもどかしさ、辛い思いを受け止めていきました。

再統合を果たしたご家族からは、ご夫婦の関係性はもちろん、祖父母や親戚なども含めて関係性を見直し、子どもを中心に家族が再生されていく姿を見せていただくことがあります。その根本に子どもが親を思う気持ちがあるからこそ、みんなで応援したくなるのです。

乳児院は子育ての原点となる場所

もう一つ、乳児院は「帰ってこられる場所」として開いておくことが必要だと思います。近年は学校でも「生い立ちを振り返る」という授業が増えています。そうした機会に入所経験のある子どもたちが訪ねてくることが増えたのです。

やはりそうしたときに、生い立ちについてきちんとお話ができることが大切です。「親御さんはあなたの幸せを願って里親さんに託す決意をした」「みんなで最善を尽くした判断による支援があった」ということを、さまざまなエピソードと乳児院のアルバムと共にお伝えすることで、そのお子さんがご自身の辿ってきた道や親御さんのことを受け止められる。それが、その後の人生の幸せにつながっていくのだと思います。

乳児院は、赤ちゃんにとっては人生の出発点であり、親御さんにとってはご自分の子育ての原点になった場所です。そんな方々のために、乳児院は「帰ってこられる場所」として、その機能を変えながら子育て支援を続けなくてはいけないと思っています。

(後編へつづく⇒東京都で始まった新生児委託のモデル事業とは? )
前編はこちら⇒乳児院における家庭的養護とは?

取材・文 林口ユキ 写真・長谷川美祈