里親は「立派な人」ではなく「子どもを大切に思う人」【前編】養育里親インタビュー

里親制度は、さまざまな事情により家庭での養育ができなくなった子どもたちを、温かい愛情と正しい理解を持った家庭環境の下で養育する制度です。里親歴は約10年という東京都の斎藤さんご夫婦。実子2人と里子1人の3人の子育てをなさっています。里親になった理由、里親家庭のご様子、そして里親支援の必要性などについてお話をお聞きしました。(後編はこちら

齋藤夫妻:長女高校3年生、次女中学1 年生、三女小学6年生(里子)の三姉妹の子育て中。妻の直巨(なおみ)さんは「チャレンジ中野!grow happy♡(http://growhappy.jp/)」の代表

子育て期間に一緒に育てる

―里親になって10年くらいだとお聞きしました。

 母:里親登録したのが、2008年でしたので、そうですね。里親さんの中にはベテランの方も多いので、10年ではまだまだ若手のほうです。

「里親をしている」と言うと、「立派な人だ」と思ってくださる方もいます。もちろん立派な方は多いのですが、私は家事育児が得意なわけではなく、「今日はごはん作りたくない」という日もありますし(笑)、むしろダメなところも多い里親だと思います。

そんな私でも、周りのサポートがあれば里親になれるということをお伝えできたらいいなと思います。決して里親のスタンダードではないので、その点はご承知おきください(笑)。

父:私にとっての里親も、何か立派なことをしているというより、昔ながらの「自分の子もご近所の子どもも一緒に育つ」というイメージから始まっています。

私はこの辺りが地元ですが、地域のお年寄りや町内会の方々が子どもたちをよくみてくれていて、東京とはいえ、みんな意外にのびのびと育っている気がします。私が小さい頃は、近所のおじさんに叱られることもありましたし、しょんぼりしていると「どうしたの? お菓子でも食べにおいで」と話しかけてくれることもありました。こういう関係性が今は少なくなっていますよね。

母:私が里親になりたいと言ったときも、夫は何の抵抗もなく、「夫婦だって血のつながりはないけど家族になるよね」と言ってくれました。

父:人生の長さを考えたとき、子育している期間が20年余りだとすると、その期間に実子以外にも家庭を必要とするお子さんがいるなら、一緒に育ってくれたらいい、という考えです。子育て期間は子ども優先で生きる。カレーは甘口でがまんするとか(笑)。やがては、実子もお預かりしたお子さんも含めて、子育て期間を終えるときがくるだろう、と思っています。

ひとりの人生の先輩としてそばにいる

実子の子育てをしながらも、養育里親になりたいと思ったのはなぜですか?

母:もともと私は、血縁関係がない家族に対して、ハードルを感じていませんでした。私には姉と弟がいますが、姉は母の最初の結婚のときに生まれたので、私とはハーフシスターです。といっても、小さい頃にそんなことなど気にしないですよね。私にとっては本気で喧嘩もするし、困ったときは最大の味方になってくれる。ただの“姉”という存在です。父が違うということは、私には関係ない話でしたね。週末ごとに叔父や叔母たちが家に呼んでくれて、血のつながりのある人もない人も含めて、いろいろな人に守られて育ちました。

それと、まだ結婚する前ですが、世の中で不妊のことがクローズアップされていました。自分の身になって考えてみて、もし妊娠が叶わなくても、子どもを育てることは素敵だと思っていたので、「里親として子育てしたい」と、なんとなくですがそう思っていました。

結婚してからは、ありがたいことに子どもに恵まれました。今の家に引っ越してきて、義母にも子育てを手伝ってもらい、忙しいながらも幸せな日々を過ごす。みんなでご飯を「おいしいね」と言いながら食べる。そんな普通の日々が、なんだか、つくづく、いいなと思ったのです。

そう思ったとき、親から離れて暮らさなくてはならない子がいるなら、うちに来てほしい。一人増えたら、私たちもきっと楽しいのではないかと思いました。

手作りの椅子と本棚にたくさんの古い絵本や雑誌など。子どもたちも読んでいる。

仲間を迎え入れたい、という感覚でしょうか?

母:繰り返しますが、立派な親になろうという気持ちは、夫も私もあまりないのです。以前、芸術家の岡本太郎氏の本を読んで、「父も、母も一般の親としてはまったくの落第点だったが、息子である僕を人間同士として、まったく対等に扱った。親だからといって押しつけることは一切しなかった」というようなことが書いてあり、とても心を打たれました。

親は子どもを自分の思った通りに動かそうとしてしまいがちですよね。親だからといってすべてわかるわけではないのに。ただ、子どもにとっては、ひとりの人生の先輩として「なるほど、そんな風に生きたいのね」と寄り添ってくれるだけで充分ではないのかと。私は自分の親にはそうあってほしいなと思っていました。

人間は社会の中で生きていますから、「自分だけが幸せ」「うちの子だけ幸せ」ということにはならない。世の中全体が良くなっていかないと、うちの子もぜったいに幸せになれない、という気持ちもありました。そのためには、一人でも“幸せ感”を持って育つ子を増やしたいなあと思ったのです。

母、直巨さんお手製のチーズケーキ。子どもたちも大好物。

7歳の長女が背中を押してくれた

―ご家族やご親戚の中で反対はありませんでしたか?

母:私はまず相談してから進めるタイプなので、夫と子どもたち、義母に「どう思う?」と話してみました。上の子は7歳でしたが、「うちの仲間になればいいよね」というスタンスで、一緒に暮らす家族全員が賛成してくれました。親戚にも報告という形で話しましたが、「そうなんだ。いいことだよね」と、ほんわかと受け止めてくれてうれしかったです。

みんなが賛成してくれた。だったら、まず児童相談所に連絡しないといけませんよね。でも、今だから言いますけど、児相について当時はよく知らなかったので、偏見がありました。

父:虐待事件の報道など、何か悪い話のときにしか出てこないから、本当はどのような機関なのかわからない人も多いですよね。私たちも最初はそうだったのです。

母:いざ連絡をするとなると、電話の前でいろいろ考え込んでしまいました。

すると、長女が「お母さん、何やっているの?」と。「うん、児童相談所に電話するのだけど、ちょっと、なんか……」ともじもじしていたら、「早くかけたら? 電話かけないと始まらないよ!」と言われました。長女に背中を押されたのです。

電話をしたら、偶然にもお時間があいていたらしく、その日の午後にはお越しくださいとのことでしたので、子どもも連れていって「こんな家族です」とご挨拶しました。実際に行ってみたら児相の担当の方は、ほんとうにいい人でした!

父:そこで初めて、児相の方々が子どものために力を尽くしていることを知りました。里親に預けるだけではなく、一緒になって子どものことを考えてサポートをしてくれているところ、ということも判ってきたのです。

母:そこから児相との長いおつきあいが始まりましたが、見えないところで、子ども達のためにがんばってくれているし、私たち夫婦が里親になれるように支えていただいたと思います。

―里親研修は、ご夫婦二人で受けられたのですか?

父:そうですね。主に座学で学び、乳幼児研修も希望していたので、乳児院にも行きました。お預かりするお子さんたちは、一般的な子育てでは務まらないこともわかりました。社会的養護のお子さんは、「親子の分離」というトラウマを抱えています。小さい頃はそれが言語化できないから、あまり見えてきませんが、深く傷ついているため、大きくなるにつれて養育に難しさが出てきます。

母:すでに実子を二人育てているから「それと同じ要領で大丈夫かな?」と、何も知らずに始めましたが、やはりきちんと学ばなくてはいけない、そうしないと、子どもをしっかりサポートできないぞ、と気づきました。

里親としての「覚悟」を持てた日

―最初は短期でお子さんをお預かりになったそうですね。

2歳のお子さんでした。一時保護所に数か月いたようです。児相からは、あらかじめ「男性が苦手です」とはお聞きしていましたが、家にきて、ソファでひと息ついたら、突然「お父さんが怖いの」と教えてくれたのです。まだ夫に会う前でしたので、その子のお父さんのことを話してくれたのだなと分かりました。保育園に通っていた次女が帰ってきて、「お父さんは?」という言葉を聞いたとたん、号泣し、ぶるぶる震えてしまったのを見て、お父さんという言葉を聞いただけでも本当に怖がっていることが分かりました。

そのうち、我が家の本物のお父さんが帰ってくると、家のなかを逃げまどってしまって……。抱きしめて「だいじょうぶ、こわくないよ」と言ってもなかなか治まりませんでした。

そこで、いつでも逃げ込めるシェルターを作りました。ソファに私の祖母が編んでくれた大きなひざ掛けを置いてあげて、「こわいと感じたら、この安全なところに逃げるといいよ」と言うと、もぐりこみました。夫には近寄らないようにねとお願いして、いつでも安全な場所で夫を観察できるようにしました。

ひざ掛けにもぐり込んで父を観察する様子を再現してくれる直臣さん。

2週間くらいで、シェルターも不要になり、落ち着いてきてくれました。そのうち、夫が抱っこしても大丈夫になってきて、春先の気候のよいときに自転車でお出かけしました。夫が運転する自転車の前かごにちょこんと座って、リラックスした表情で、春の風がほおに当たるのを感じている、とてもかわいらしい姿。自分は守られていることをわかってくれている。「こんなひとときこそ、子どもにとって一番大切だな」と思いました

父:でも、2か月くらいで、都合で別の施設に行くことになったのです。

母:不安な表情がなくなり、過食などの行動も治まって、笑顔を見せてくれたり、子どもらしくわがままも言ったりするようになってくれていました。ようやく、「本来はこんな子だったのだな」という姿に戻ってきてくれたところだったのですが。

お返しすることがつらくて、泣きそうになったけど、私はそれを気づかれないよう振る舞っていました。そしたら「なーちゃん、泣いちゃダメ」って言うのです。なんで気付かれたのだろうと不思議に思いましたが、そう言われて余計に泣きそうになりました。「なんで泣いちゃダメなの?」と聞いたら、「私も泣きたいのにがんばっているから」と。

はじめて預かったお子さんの話をしながら、今でも涙ぐむ。

母:私が抱えるつらさより、何万倍も大きな不安を抱えているはずの2歳の子から、そう言われてしまいました。私は「あなたには負けたよ」と結局、ボロボロ泣いてしまいました。

私はこの短期でお預かりした子との経験を通して、「一人でも育てられたら」という気持ちから、「こんな子どもがいる限りやろう」というものへと、気持ちが変わりました。覚悟などしないで始めた私が、小さな子に肚を決めさせられたのです。

いつか再会できる日があったら、大人の私よりも立派だったあの子が認めてくれるような、そんな親になれたらいいなと思っています。

父:短期でお預かりすると、別れがとてもつらい。分別がついて、「巣立つ」という形でのお別れならいいのかもしれませんが、大人の都合で引き離されるのはつらかった。ですから、今後は長期で受け入れたいことを申し出ました。

母:その後に来てくれたのが、いまの三女です。なかなか受け入れ先が決まらず、3歳7か月になっていました。このまま委託先が決まらなければ、児童養護施設に行くことになります。私たちは、ぜひうちに来てくださいとお伝えしました。

後編へ続く

 

取材・文 高橋ライチ 林口ユキ   写真・長谷川美祈