【対談】バースマザーのグリーフケア 髙橋聡美先生×小澤雅人監督 死別とは異なる『あいまいな喪失』のケアとは

特別養子縁組は社会的養護における第一の選択肢と位置付けられています。この取り組みを推進するにあたり、子どもを託したバースマザー(産みの女性)の支援も課題の一つです。バースマザーの『あいまいな喪失』をケアする必要性について、グリーフケアの研究者・髙橋聡美先生と特別養子縁組の映画を撮る小澤雅人監督が対談しました。

髙橋聡美 防衛医科大学校 精神看護学講座教授 博士(医学):精神科・心療内科で8年看護師として勤務後、看護教育に携わる。スウェーデンに在住し医療福祉政策の調査を行い、帰国後、2006年から自殺予防活動の一環としてグリーフサポートを実践。現在は大切な人を亡くした子どもたちのグリーフサポートの場を全国に広げる活動をしている。http://blog.canpan.info/satomilab/

小澤雅人 映画監督・脚本・編集:児童虐待や機能不全家族、性暴力被害、若者のホームレスといった切実な社会問題をテーマに描き続けている。作品に『風切羽~かざきりば~』『月光』等。『わたしの血、瑠璃色に輝く(仮)』の制作を始めている。

東日本大震災から広まった『あいまいな喪失』

小澤雅人監督:私は現在、特別養子縁組をテーマにした映画の企画を進めています。当事者や支援者に取材をする中で、ご自分が出産した子どもを他の人に託す決意をした女性ともお話をしました。髙橋先生は遺族のグリーフケアの研究者でいらっしゃいますが、ここにきて、養子縁組に託した女性のグリーフケアを始められたそうですね。

髙橋聡美先生:グリーフケアとは、『悲嘆のケア』とも呼ばれ、死別後の癒えない心の傷と向き合うケアのことをいいます。私のグリーフケアへの取り組みは、自殺で大切な人をなくした遺族の支援から始まりました。その後、がんや事故、犯罪被害などにより身内を失ったご遺族のサポートをしながら、グリーフケアの理論及び方法について研究を続けています。

小澤:東日本大震災のときにも、ご遺族のグリーフケアをなさっていました。

髙橋:地震が発生したとき、私は宮城県に住んでいたこともあり、震災でお身内を失った方々の支援を任されることになりました。このとき、死別の方々へのサポートと並行して、行方不明の場合のケア、震災遺児が養子縁組や里親委託で新しい家族の中で生きていくときのサポートなど、多様な喪失体験のケースに携わってきました。

小澤:ご遺体と対面できないまま、本当に亡くなったかどうかあいまいなまま過ごす日々のなかに喪失感があるのですね。

髙橋:死別の場合は、「もう会えない」というはっきりとした喪失です。しかし、行方不明の場合は生きているのか死んでいるのかわからない『あいまいな喪失』になります。

養子縁組や里親委託の場合は、「実の親は生きている、どこかに居るかもしれないけれど会えない」という『あいまいな喪失』を抱えていることになります。

あいまいな喪失には行方不明のように、身体が見つからず生きているか死んでいるかわからないケースと、例えば、認知症を患った親に対して「あの頃のお父さんはもういない」というような、体はそこにあってもその人でないないような『あいまいな喪失』の2種類があり、里親委託などは後者のあいまいな喪失の体験となります。

小澤:喪失感の度合いは異なるにせよ、「会えなくてもどこかに居るのかもしれない」という感覚があり、そうした『あいまいな喪失』にもグリーフケアが必要になってくるということなのでしょうか。

髙橋:そうですね。震災以前の日本には、生存か死亡か確認できない喪失感をサポートするシステムはありませんでした。アメリカでは、ミネソタ大学のポーリン・ボス博士(心理学者)により『あいまいな喪失』の理論が提唱され、2001 年の9.11のときに、体がDNA検査もできないほど焼けてなくなってしまった行方不明者の家族へのサポートとして注目されました。

東日本大震災の際に、遺族支援の研究者たちでポーリン・ボス博士に「本当に亡くなっているのかわからない遺族ケアはどうしたらいいのか」という相談をして、学びと経験を重ねてきました。

バースマザーが抱える喪失感と葛藤とは

小澤:そうした流れのなかで、特別養子縁組に託したバースマザーのグリーフケアの依頼がきているということですね。

私もご自分で出産した赤ちゃんを特別養子縁組で託した女性とお話をしましたが、「大きなグリーフを抱えている」という印象はありませんでした。あっせん団体はバースマザーへのサポートもなさっています。しっかりとした養親さんに託すことができたことで安心し、人生を出直すというか、区切りをつけているご様子でしたが、そうでない方もいるということでしょうか。

髙橋:そこは人それぞれなのだと思います。縁組に出したのは経済的に育てられなかったから、若年妊娠であったから、相手の男性と結婚できなかったからなど、事情はさまざまですが、その理由によって悲しみの深さが決まるものでもありません。強いて言うなら、その女性の「母性の強さ」と関係しているのではないかとは感じることがあります。

小澤:やはり「自分で育てたかった」ということでしょうか。

髙橋:すでに何人も出産をしている女性がまた妊娠して、そのお子さんは養子に出す決心をされました。お子さんの父親もそれぞれ違うという複雑なご家庭でした。「私は子どもを捨ててしまった、死ぬほどつらい」という喪失感と罪悪感にさいなまれ続けていらしたのです。その姿を通してこの女性の持つ「母性の強さ」というものを感じました。

小澤:そうした方のご相談はどのような経緯で髙橋先生のところにつながるのですか?髙橋:特別養子縁組に取り組まれている産婦人科からの依頼が主です。多くは「託すことができてほっとした」という方々ですが、それでも大きな悲嘆を抱える、罪の意識がぬぐえないという方についての相談がスーパーバイズという形で私のところに来る、というわけです。まだ始まったばかりなので、手探りではあります。

小澤:「居るはずの子どもが居ない」という意味では、髙橋先生は流産や死産を経験された方のグリーフケアもなさっていますよね。

髙橋:そうですね。流産や死産によるグリーフもとても大きく深い悲しみです。それでも、亡くなった子どもの供養をして、気持ちを整理するようなケアなどを通して、徐々に受け入れていくサポートはできます。

ところが、生きている子どもを手放すことは、意味合いが異なります。供養もできませんし、どこかで「取り戻せるかもしれない」という思いがよぎることもあるわけです。産婦人科医が、「自分を責めて生きなくてもいいのではないですか?」と言っても「自分を責めて生きることが、自分の生きる力なんだ」という方もいらっしゃる。ならば、タイムマシンで過去に戻ったら養子に出さないかといえば、そうではない。複雑な葛藤を抱えてしまいます。

小澤:いったん決心して託したとしても、後悔をすることがあるのでしょうか。

髙橋:そのときはそうせざるを得なかったとしても、時が経ってご自分もご結婚されて、出産をしたときに、育てられなかった子への思いがよみがえることもあります。若年妊娠だった場合は、女性の親の判断で事を運ばれていることも多いので、後になってその意味を知る、ということも起きてきます。

いずれにしろ、バースマザーは大なり小なり葛藤を抱えていて、抱えきれなくなった方もいらっしゃるということです。

死別とは異なる『あいまいな喪失』のケア

小澤:死別などのはっきりとした喪失と、養子に出したというような『あいまいな喪失』とでは、ケアの方法はどのように異なってくるのですか?

髙橋:死産・流産や死別の場合には、宗教的な供養、儀式を通して、救われていく機会はあります。グリーフサポートにも思い出を整理していくような作業があります。ところが『あいまいな喪失』の場合はこうした儀式がありません。

また、死別の場合は「思い出と和解する」というプロセスを踏むことができます。思い出すと涙が出る、罪の意識もある。でも「お父さんこんなことが好きだったよね」と、思い出を心穏やかに話せる段階になっていける。そこをゴールと考えてサポートすることができます。

小澤:養子縁組に出したお子さんについての葛藤には、明確なゴールがないわけですね。その葛藤をどうケアしていく必要がありますか?

髙橋:あいまいな状態や葛藤を「共に抱えること」がサポートになります。ポーリン・ボス博士にも「共に葛藤することが支援だ」と教えていただきました。支援者はどうしても「少しでも気持ちを軽くさせよう」「罪悪感をなくしてもらおう」とがんばってしまいがちですが、葛藤状態を解決しようとしない、ある意味での忍耐が必要です。

産婦人科医が女性を元気にしようとすればするほど、「先生は私の気持ちをわかってくれない」という言葉が返ってくるそうです。まずは話を丁寧に聞いていくしかないのです。死別も同じですが、嘆きの状態をコントロールできるのは、その人自身しかいないから。

魂の「問い」から自分自身の「物語」を紡ぐ

小澤:支援する側がコントロールできるものではないということですね。その人がどのように受け入れていければいいのでしょうか。

髙橋:『物語』は、本人しか作ることはできません。支援者は対話のなかでそのプロセスを支えていく、というアプローチになります。物語とは、「私の人生のなかでこういう意味があったのかな」という意味付けのようなものですが、それは他の人から押し付けられるものではない。ご本人が気づいて、自分で紡いでいく必要があるのです。

小澤:流産や死産の場合は、つらくても、ある程度社会的にも受け入れられる喪失体験かと思いますが、バースマザーの場合は、ほとんどお一人で抱えていくことになりますよね。

髙橋:そこも大きな喪失感の要因です。流産や死産はその方が選択したわけではない、不可抗力によるものですが、養子縁組に託すことは、最終的にはご自身の選択です。ご自身の選択および決断であり、周囲には伏せていらっしゃるので、その喪失感がそのままご自分に返ってきてしまいます。しかも、子どもにもその選択を強いている、ということになります。結果的に子どもが幸せになれるにせよ、そうした一方的な選択をした自分と和解していかなくてはならないのです。

小澤:その重さを支えてあげる必要があるのですね。傷ついた心をケアする以上の視点が必要になってくるということでしょうか。

髙橋:産婦人科医とも具体的なプログラムを検討していますが、同じ体験をしたバースマザーの「分かち合いの会」のようなものが必要だと思っています。分かち合い、語り合うことが、ご自身の物語を紡ぐ手立てとなる気がします。

私はバースマザーに限らず、グリーフケアに向き合っていると、単に「心のケア」というより、その魂が背負ってきた痛みを感じながらサポートしています。「なんで私はこの子を宿し、産み、手放さなくてはいけない運命にあったのか」という「問い」は、心の問題というより、スピリチュアルと言いますか、その魂が背負っているものだからです。

小澤:日本には宗教的な受け皿はあまりありませんよね。支援する医療機関や団体によっては、キリスト教などをベースとした『祈り』を通してバースマザーをサポートしているところもあるとお聞きしますが、魂に対する『問い』とはどのようなものですか?

髙橋:例えば、私が育った家庭には、アルコール依存症、DV、貧困という課題がありました。小さいとき「なんでわたしはこんなお家に生まれてきちゃったのだろう」と思っていました。なぜ私はこの星に、この家に生まれ、この環境で育ったのか、これは自分の魂に対する問いなのです。

そして今、私は「いまの仕事をするために、あの環境に生まれてきたのかもしれない」と、やはり思っています。このように、人生の意味付けを私自身がしていることが肝心なのであって、他者が意味付けすることではないのです。

小澤:とてもよくわかります。私が映画を撮ることにも私の中で『問い』があるのだと思います。ところで、その方の物語を紡ぐサポートをするには、やはり相当なスキルが必要なのでしょうか。国の政策も家庭養護にシフトするなかで、バースマザーのケアに関するニーズはこれから増えてくるのではないかと思いますが。

髙橋:心のケアという面では、カウンセラーという方がいます。医師の間でも『物語に基づく医療』、ナラティブアプローチという方法が注目されていますが、必ずしも医療従事者や専門家でなければできないということではありません。知識がある分「これはこういう症状なのね」とジャッジすることが、聞くことの妨げになるからです。グリーフに関しての一定の知識があり、それを意識して、行動できる方であれば大丈夫です。

小澤:遠回りかもしれませんが、社会的養護のあり方、家庭養護についてのあり方が世の中に知られることで、事情を抱えたバースマザーへのサポートが行き届くことにつながればと思います。

髙橋:そうですね。私はグリーフケアの実践と研究を通して、小澤監督は映画を通して、自分自身の物語を紡ぎながら、知識や認識を広めていくことが大事だと思います。

小澤:今日は貴重なお話をありがとうございました。

(構成・林口ユキ 写真・長谷川美祈)