- 2025年12月12日
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他者を失った「家族」の行方映画レビュー『ジ・エンド』/文・高橋ライチ

「完璧な家族」が塗り固めてきた秘密や嘘が、外から来た者によって露わになっていく──。
世界の終わり、地下深くの豪華なシェルターで繰り広げられる、閉ざされた家族の美しくもグロテスクなミュージカルを紹介する。
他者を排除することで生き延びる一家
環境破壊により、地表に住めなくなった近未来。地下の大がかりなシェルターで暮らす裕福な一家があった。
ここに住む人々は、メンバー以外の人間を、排除すると決めている。「かつて食べ物を求めてやってきた人間は、最後には命を狙おうとしてきた」と父親は語る。緊急時の救命訓練と、熱心な射撃訓練とを行いながら、彼らはなんとか家族を護りぬこうと備えている。
食事も運動も娯楽も危機管理も、すべて自分たちできっちりコントロールしている。しかし、どこか空々しく見える。25年間、限られたメンバーで繰り返されてきた茶番に、ある日変化を起こしたのは、外から迷いこんだ少女だった。

©Felix Dickinson courtesy NEON ©courtesy NEON
本当のことは語られない
一家の空気を支配しているのは、ティルダ・スウィントン演じる不安定な母親だ。彼女が眉根を寄せたり、壁の色や絵の配置が納得いかないと言い募る様子を見守っていると、だんだんこちらも引きずられて緊張が高まってくる。この人をなんとか穏やかに納めたくなる。
外からやってきたために暗黙の了解を知らない少女が、「本当のこと」を訊こうとすると、「それ以上は一線を超える」とすかさず止めに入る息子。しかし、その「本当のこと」を、彼自身も知らされてはいない。ここでは秘密を暴いてはいけないのだ。母親の顔色の変化を敏感に察知して、均衡を保とうと動く。こうして家族は上辺の平穏を守ってきた。
触れてはいけない話題、本音を明らかにしない、嘆きは即座に封じられる。自分たちは幸せな家族だから。ワインの味がまずいとすら、これまで誰も言い出さなかった。

©Felix Dickinson courtesy NEON ©courtesy NEON
こうした家族の微妙な空気の読み合いや、本質を避けた茶番の数々が積み重なると、目をそらしたくなる。同様の経験をしたことがある者にとっては、既視感がすごい。最初はSF設定でミュージカルだと、自分とは切り離して観ていたのに、私はいつのまにか物語の中に入り込んで、いたたまれなくなっていた。
ジョージ・マッケイが演じる20歳の息子は、登場すぐのシーンでは、過保護・過干渉の中で育ったであろう幼さ、イノセントさが目につく。が、少女との出会いから急激に自我が芽生え、伸びてていく変容ぶりは見ごたえがある。閉じ込められていた、変化・成長を求めていた命が目覚める。安全なはずのシェルターは、若者の成長につれ、ブロイラー用のケージとなっていた。他者が入り込まなければ、きっと、ずっと。

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個人名が不要な家族
劇中の役柄には、ほとんど名前がついていない。他者と区別する必要がないからだろう。
母、父、息子、執事、医者……。
そして境界は曖昧になり、誰のものかわからない感情に全員が侵襲されていく。彼らは名前で呼び合うこともしない。
母の旧友であるメアリーにだけ名前があるのは、母から削ぎ落とされたかに見える「母性」を代わりに担う彼女を、区別する必要があるからだろう。みんなの食事を作ったり、息子の弱音を受け止めたりを、実母はおそらくやっていない。メアリーおばさんは、過去を悔んだり、弱音を吐いたりもする。ついには「本当のこと」を自分の口で語る。この家族の中ではいちばん、個としての存在感がある。
本来、こうした個の存在が、家族の中のメンバーも他者であるということに気づかせてくれるのだが。
ミュージカルだからできたこと
一方、決して「本当のこと」を言わない母ティルダ・スウィントンが、切り捨ててきたものへの思慕を歌い上げる独唱は圧巻だ。どんなセリフでもここまでは心動かされまい。歌だからこそやすやすと到達してしまう心の領域がある。そして、この母はセリフでは決して本音を語らないのだから、歌劇である必要があったのだ。
ジョシュア・オッペンハイマー監督は、前作『ラスト・オブ・キリング』では虐殺を行った人々に、当時の様子を演じさせるという長編ドキュメンタリーにより、人間の闇をこれでもかと描き出した。初の長編フィクションとなる今作では、SFでミュージカルと振り切っておきながら、さらにリアルな闇を見せつけてくる。
この劇中の歌声はおしなべて怖い。ミュージカルというと、喜怒哀楽のどの感情であれ、明るい命の躍動のようなものがベースにあるイメージがあったが、本作では楽しいはずのシーンさえ絶望や虚無が通奏低通として聞こえてくる。
外からやってきた生き生きとした少女モーゼス・イングラムの歌声がまた切ない。地声と裏声を行ったり来たりするたびに、胸の奥が削られていく感じがする。聴く者の内側に、舞台となっている岩塩坑のような複雑な空洞ができ、絶望が満ちていく。
家族になるとは、どういうことなのか
閉ざされた世界で、それぞれが病みを抱えて、境界をなくしていく。
外から来た少女も、やがてこの家族に取り込まれるのか。
それは幸せなことなのだろうか。
思いがけない闖入者がもたらした変化の後。
ラストシーンで、あなたは、ホッとするのか、ゾッとするのか。
劇場で確かめてほしい。
〈作品情報〉
『ジ・エンド』
12月12日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国公開
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
脚本:ジョシュア・オッペンハイマー ラスムス・ハイスタ―バーグ
出演:ティルダ・スウィントン ジョージ・マッケイ
モーゼス・イングラム ブロナー・ギャラガー ティム・マッキナリー
レニー・ジェームズ / マイケル・シャノン
原題:The End/2024年/デンマーク・ドイツ・アイルランド・イタリア・イギリス・スウェーデン・アメリカ合作/148分/シネマスコープ/カラー/デジタル/字幕翻訳:松浦美奈
配給:スターキャットアルバトロス・フィルム
宣伝:東映ビデオ
©Felix Dickinson courtesy NEON ©courtesy NEON
公式HP:https://cinema.starcat.co.jp/theend/公式X @THE_END_movieJP