現実を詰め込んだショーケース映画『こども食堂にて』

エンライト編集部の映画好きカウンセラー、高橋ライチです。映画や書籍を紹介しつつ、ごく個人的な『家族』にまつわる想いを書いていきたいと思います。今回は映画『こども食堂にて』を取り上げます。作品の批評が目的ではなく、読んでくださる方が、それぞれの『家族観』について考えるきっかけになればと思います。よろしければエンライトSNSまでご感想などお寄せください。
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虐待から逃れた後も、人生は続く

この映画は、児童虐待をテーマにした短編映画『わたし、生きてていいのかな』の続編として描かれています。前作で高校生だった少女が、家出や子どもシェルター、自立支援ホームなどを経て、今作『こども食堂にて』では20歳になっています。アルバイトをしながら奨学金で夜間の大学に通っています。

主人公の千晶は、「自分と同じ境遇の子の役に立ちたい」と、児童福祉司を目指して勉強しているのに、ボランティア先のこども食堂で出会う子どもたちには、何もできることがないんじゃないかという無力感を感じたりもします。自分自身の経験を話しながら、「似てるね、私たち。だからわかるよ。だから、味方だよ。私も助けてもらえたから今がある。だから、きっとあなたもそういう人に会える。助けを求めてね」と子どもたちに関わっていきます。過去の自分に言い聞かせるように。

虐待をした母親への想い、家庭を壊した父親への想い、離れて暮らす妹への想い。
子どもの味方になろうとすると、その親と対立してしまう。
相談に乗ろうとしても、乗るすべがないように感じる。
無力感の中で、千晶は、自分自身の生きる意味をなんとか感じようとしています。虐待を受けている子を保護すれば終わり、でなく、その子のその後の人生が続いていくことが描かれています。

それぞれの立場、それぞれの事情

映画の中には、千晶がボランティア・スタッフとして働く子ども食堂に関わる様々な立場の人の声が詰まっています。

虐待を受けている子、こども食堂を続けるお寺のおかみ、それを応援する住職、こども食堂へ子どもを誘ってくれる小学校の先生、お腹をすかせた子を見かねた学童の指導員、児童相談所の職員、里親、里子、産みの親、虐待をしてしまう親……。
「本当の親じゃないくせに!」「うちはそんなに困ってないよ!」「お父さんが酔っぱらっていると怖い」「私なんて何もできない」

どこかで見聞きしたようなセリフだとしても、実際の人物が口にしている映像は、胸に強く響きます。映画の中ではそれぞれの立場の人々が、ショーケースのようにわかりやすく陳列されています。ドキュメンタリーではないからこそできる「見える化」。次から次へと様々な人の立場、本音に同席することができます。観終えた後、実際にはもっと個別の複雑な事情が隠されていて、それぞれの人がなかなか理解されることもなく抱えているままなのだろうな、ということに思いを馳せています。

限界はあれど、できることがある

上映後の舞台挨拶で佐野翔音監督はこう話されていました。
「映画をご覧になった方から『監督の熱意がすごい』と言われますが、違います。制作にあたって実際にこども食堂や里親をやっているみなさんから『このことを描いてくれ』といろいろなことを教えていただいた、その熱意でこの映画はできています」

制作費はキリン福祉財団の助成金とクラウドファンディングで、さらに全国ロードショウに向けての費用もクラウドファンディングで集められています。たくさんの人が「現状をなんとかしたい」と想いを寄せていることがわかります。

全国里親会の後援もあり、里親についての理解が深まる要素もたくさん入っていました。映画の中でこども食堂の店主・根本さんが「私たちにできるのは、ここまで。そして、できるのは続けること」とかみしめるように話していました。これを観た私にも、限界はあれど、できることがある。そしてできることを続けようと思うのでした。

 

(作品情報)
監督・脚本・企画 佐野翔音
出演 本下はの 北原佐和子 川上麻衣子(特別出演)他
公式サイト https://kodomosyokudo-nite.jimdo.com/
公式ツイッター https://twitter.com/sunshine201709
(上映情報)
渋谷アップリンクファクトリー 上映中~10月12日
http://www.uplink.co.jp/movie/2018/51888
横浜シネマリン https://cinemarine.co.jp/kodomo_shokudo/
大阪シアターセブン

text/高橋ライチ