東京都でスタートした新生児委託のモデル事業【後編】二葉乳児院・三浦淳子新生児委託推進員インタビュー

二葉乳児院では平成29年度より、東京都のモデル事業として、新生児委託事業を開始しています。新生児とは、生まれた日を0日として28日未満の赤ちゃんのことですが、この期間のうちに里親委託を目指すという取り組みです。

特別養子縁組を前提とした里親委託について、東京都ではこれまで、十分な期間をかけて慎重な対応をしてきました。しかし、できるだけ早い時期から里親が養育することの利点を考え、児童相談所と乳児院が協働する形で、新生児委託が進められるということです。担当の三浦淳子新生児委託推進員に新生児委託の実際、どのような思いで取り組んでいらっしゃるのかお聞きしました。

生後27日までに養子縁組里親宅へ

新生児委託事業とはどのような取り組みでしょうか?

三浦淳子新生児委託推進員:生後28日未満の赤ちゃ生後28日未満の赤ちゃんを、新生児期間のうちに里親さんに託す、東京都のモデル事業で、今年度で2年目です。児童虐待死が最も多いのは、「0歳0か月」産まれてすぐ奪われる命と、追いつめられるお母さんを救いたいという思いからスタートしました。

基本的には、チームで支援していく仕組みになっており、育成支援課、子ども担当の福祉司、新生児担当福祉司、出身施設乳児院の新生児委託推進員(三浦さん)、親担当福祉司、地域乳児院の里親支援専門相談員、地域の子育て支援施設の保健師、相談員へと順序良く連携しながら、支援をつないでいきます。まだ、モデル事業として始まったばかりですので、さまざまなご意見もいただき、細かい見直しをしながら進めています。

三浦さんは乳児院で保育士として働いていたのですか?

そうです。ここに勤めて28年目になりますが、0歳児、1歳児、2歳児、年齢超過児童(3~5歳)、2年ごとにいろいろな年齢層のお子さんを担当しました。「乳児院で手厚く関わって愛着関係を築いて欲しい」と託された少し大きめのお子さんの担当もしました。その後、同じ法人内で自立援助ホームの立ち上げに2年間関わった後、この新生児委託事業に携わることになりました。

なぜ乳児院に勤めたいと思われたのですか?

地元山形の短大を出て、幼児教育と保育を一体的に行う「こども園」で、年長と年中、年少、2歳児クラスの担任を持ちました。幼児教育に積極的でしたが、私の勉強不足もあり、私自身も仕事に追われる日々で、もっとゆったりとお子さんたちと向き合いたいと思っていました。

そうしたなかで、こども園でお母さんと一緒に生活できなくなったお子さんがいたのです。私もまだ若くて向こう見ずでしたので、園長に「この子を私が預かりたい」と言ってしまいました。「そんなことはできないよ」とたしなめられ、そこで初めて、同じような境遇のお子さんたちがいるであろう、乳児院のことをもっと知りたいと思ったのです。

短大時代はバスケットボール三昧でしたが、「人として豊かに育つためには愛着関係の基盤が必要」という講義は、なぜかしっかり覚えていました。その後、保育士の先輩の家を訪ねて乳児院の話を詳しく聞き、「親御さんと縁の薄い子をサポートしたい」と思い至りました。

調理室は子どもたちが様子をのぞくことができる。

近所の子どもはみんなで育てる

そんな風に思われたのはなぜなのでしょうか?

私は「近所の子どもはみんなで育てる」という、昭和の古き良き時代のなかで育てられました。親が忙しくて私の面倒を見られないときは、近くのおじさんやおばさんたちが世話をしてくれたものです。地域の人が「私をいつも見ていてくれている。困ったら助けてもらえる」という安心感を持って育ったので、私自身も自分が産んだ子でなくても、その子の育ちに関わる仕事がしたいと自然に選んだのだと思います。

生みの親と別れる運命にあったお子さんに、「私はあなたと出会うためにここにいるのよ。」ということを伝えたい。今振り返れば、そんなおこがましい想いがあふれて、矢も楯もたまらず、先輩と話して10日も経たないうちに東京に出てきました。

仕事も決めていないのに?

はい、上京もしたかったので(笑)。東京に着いてから住む場所と働く場所を探しました。信濃町の電話ボックスに入り、電話帳を広げて「乳児院」を調べようとしたとき、パッと目に入ってきた「二葉乳児院」に電話をかけ、その足で交番に「荷物を預かって欲しい」とお願いしたら断られたので、大きな荷物を抱えたまま二葉乳児院を訪ねたところ、当時の院長に「あなた面白いわ」と言われて、そのまま勤めることになりました。

勢いで就いた職場でしたが、乳児院のしくみなどは、仕事をしながら学ばせていただきつつ、やりたかった保育の仕事にまい進しました。

心に傷を負って笑わなくなった赤ちゃんが、一緒に生活していくことで安心してくれたのか、いつしか私の目をしっかり見て、笑顔になってくれたときは、得も言われぬ幸せな気持ちになりました。こんな私でも役に立てている喜び。どんなに小さなあかちゃんにでも、誠実に純粋な愛を伝えていこうと誓った瞬間でもありました。

やがて、乳児院の保育士として経験を積んだ頃には、赤ちゃんに愛情を与えているという感覚から、むしろ赤ちゃんの方からいただくものが大きいということに気づきました。今もなお、本当にいただくものばかりです。

関係性が出来てくると、心の中に相手の存在を住まわせる、とでも言いましょうか。保育士としての関わりでも、赤ちゃんと人としての真っ直ぐな“相思相愛”になれると分かり、ますますこの仕事は素敵だと思うようになりました。

赤ちゃんとの別れが必ずある。赤ちゃんの前ではぐっとこらえているが、送り出した日を思い出すだけで涙が出てしまう。

条件を受け入れた覚悟ある方に

新生児委託の流れについて教えていただけますか?

生母さんの妊娠中または出産直後からの相談に応じるなかで、「特別養子縁組が児童の利益にかなうと判断」がされた場合、児童相談所の児童福祉司が「里親へ」と決定し、生後5日~7日の間に乳児院の赤ちゃんの部屋にやってきます。委託までの期間は、そのお部屋の担当の保育士がお世話をします。

一方、養子縁組里親さんは、説明会、複数回の面接、家庭訪問、乳児院での事前研修を受けていただきます。

赤ちゃんの発達は予測不可能ですから、成長する過程で障害や病気が判明しても育てていくという覚悟をお持ちの方、生後6カ月父母のどちらかが家庭に入って育児ができる方、委託後も児童相談所や乳児院の研修・里親サロンなどに参加していただける方など、数ある条件をご了承いただけたご夫婦が、我が子となる赤ちゃんとのご縁につながっていきます。

事前研修では乳幼児の発育などについての座学もありますが、まだまだ心身が未熟で危うい新生児との生活が直ぐに始まることから、ご自宅でも赤ちゃんとの生活を様々な角度からシュミレーションしながらの演習をしていただいております。

また、里子さんを迎えるにあたって、自己覚知(自分自身の考え方などを深く、客観的に理解しておくこと)は必要なことだと思っています。お子さんとの関係性を作っていくうえでの支えになる部分でもあります。研修の中に、自分の生い立ちや内面を語りあうフリートーク的な時間も設けています。

里親さんの事前研修では実際の赤ちゃんとほぼ同じ重さの人形を使って練習も行う。

赤ちゃんを託せると安心されるのはどのような方ですか?

私の個人的な考えですが、ユニークで人間的な温かさや懐の深さを感じさせてくれる方のほうが、子育てに向いていらっしゃるように感じます。

東京都では、委託が決まった里親さんには、当座の育児生活に必要な赤ちゃん用品を差し上げることになっています。委託の同意から、短い期間でのご準備をサポートする意味です。

生母の意思確認は慎重を期す

生母さんへのサポートはどなたがなさいますか?

生母さんは管轄の児童相談所がサポートしています。新生児委託事業において、最初の段階でもっとも重要視されるのは「実親と実子の関係」です。産みのお母さんの「里親に託します」という意思確認は、出産後も改めて丁寧に行います。この過程はとても慎重です。

明確な意思確認ができた後、待機なさっている里親さんにご連絡を差し上げ、お引き受けできるということになれば、準備をしていただき、できるだけ早いうちに27日を目指して 里親家庭に入る、という流れになります。

初年度は「生後27日までに委託完了」で進めましたが、里親さんのご準備が忙しくなってしまうことから、今年度以降は、「27日までに里親さん宅で生活をする」というような流れで柔軟に対応しています。

生後数日で乳児院に来て、早ければ、入所と同時に里親さんとのマッチングをし、交流日時を調整します。基本的には、マッチング、日帰り交流、2泊3日の宿泊交流、なるべく新生児のうちに里親さん宅への長期外泊、という流れになります。

長期外泊中に委託決定になると、乳児院から里親さん宅へ措置変更という扱いになります。その後養子縁組成立まで時期はそれぞれ違います。

交流と乳児院宿泊を経て自宅へ

―交流の間、三浦さんはどのように関わられるのですか?

交流のときは側で見守りながらサポートします。現在は最初の宿泊は敷地内の建物の3階にあるワンルームに赤ちゃんとご夫婦で泊まっていただきます。

情緒的な部分は、里親さんのお人柄で充分に赤ちゃんに伝わりますが、赤ちゃんの命を守る、事故防止という観点では、こちらが側にいて何度も繰り返しお伝えし覚えていただいています。新生児の事故は命を落としかねませんから。

夜は、里親さんと相談しながら対応させていただき、内線を利用して様子を共有するようにして、いつでもお部屋へ飛んで行ける体制をとっています。

長期外泊日から1ヵ月間は週2回、2ヵ月間は週1回、3ヵ月間は2週に1回の訪問に変えて様子をみていきます。事前の実務者会議でも地域の専門職を交えて「委託後のフォロー」について話し合っており、地域の里親支援専門相談員や保健師などが連携して育児を支えます。

里親さんが宿泊するワンルーム

タンスには肌着などが常備されている。

「愛情の帯」を切らない支援

―委託までの流れで通して大切にしていることは?

大切なのは「つないでいくこと」ですね。生母さんのお腹に宿ったときから始まっている命。たとえ、お腹の中にいるときに生母さんの困難を感じ取っていたとしても、赤ちゃんにとっては、それはある意味で当たり前の環境だったのです。大好きなお母さんと離されたことの方が、傷になっている。ここをしっかり受け止めることから乳児院の保育は始まりますし、里親さんにとっても同様です。

お母さんはいろんな事情があって、思いがけない妊娠をしたけれど、産む選択をなさったことは素晴らしいと思います。

特別養子縁組は戸籍上の縁は切れますが、そこから真新しく始まるというわけではないですよね。その子の人生は命になった瞬間から始まっていますから、環境が変わっても、その子を大事にしていく「愛情の帯」がつながっていくことで、そのお子さんは自分が大切にされていることを感じ続けて大人になれると思います。

お子さんが少し大きくなって「自分が生まれたことについて知りたい」と思ったとき、すべての事情を話さなくてもいいと思うのですが、「あなたには産んだお母さんがいた。あなたの命を大事に思って産んでくれた」という事実を知ることは、とても大事な事だと思います。

この始まりの部分を里親さんが軸としてしっかり持っていてくだされば、そこから先は、その方らしいご家族が形づくられていくのではないでしょうか。

それと、私は必ずしも赤ちゃんの時期でなければ里親子の絆づくりが難しいとは思っていません。年齢に限らず巡り合うのはご縁だと思うからです。

以前、大人と会話できるぐらいの年齢で特別養子縁組をしたお子さんがいます。大きくなってから乳児院にボランティアに来てくれています。当時担当保育士だった私はその里親さんと今もつながっていて、時折共に成長を喜びあったり、ご苦労を聞かせていただいたりしています。

その里親さんは、お子さんの育ちの歴史を普段の会話の中で、自然と伝えていらっしゃるのだそうです。その子は、ここに居た期間も自分が産まれた時も、大切にされていたことを感じてくれているのだと思います。

ただ、実際に新生児委託で里親子になったご縁を拝見させていただいて、より自然に家族になっていくなと感じています。なにより、もしかしたら、亡くなっていた命かもしれない。その命が継がれていることは、何にも代えがたいことだと思っています。

継がれた命を、環境が変わるつなぎ目のところを大切に、その子にとっての「愛情の帯」を切らないでいけば、大変な事が起きても、きっと、乗り越えていけると思います。

「赤ちゃんってすごい!」

―最後に、改めて新生児委託のやりがいをお聞かせください。

あのままこども園の先生をしていたら、私の性分では、愛着形成の大切さには思い至らなかったかもしれません。赤ちゃんの脳はお腹に宿ったときから、自分が大切にされていたという、言葉にはできない記憶が積み重なって豊かに育っていくのだと思います。目に見えない、人の温かさや思いなどの心の動きを感じているのです。

新生児委託が決まった赤ちゃんのベッドの横に、里親さんの写真を置いたり、「ここのお家にいくんだよ」と話しかけたりしていますが、赤ちゃんの方から親となる里親さんと交わろうとする様子が見えるのです。

新生児の笑顔は「生理的な笑い」だといわれていますよね。でも、里親さんが交流に来ると知らせると、実にタイミングよく笑ってくれるから不思議です。

例えば、乳児院での交流が終わって里親さんが帰ると、私に抱っこされながら、ちょっとギロッと見たりして「もうお部屋に戻るの」という寂しい表情になります。「お父さんお母さんは一緒に暮らすのを待っているよ」と言うと、「ほんとう?」という表情をしながらも、次の来訪をちゃんと待っています。

そして、里親さんがいらしたときの反応といったら、「待っていた、信じている、愛されていて幸せ」と言わんばかりの喜びにあふれている。

その喜びは里親さんからも発せられていて、お互いの求めあうものがどんどん増していって、長期外泊ともなれば、「やった、ずっとパパとママと一緒に居られるんだ!」という顔をしていますよ。そんなとき、私はいつも「赤ちゃんってすごい!」と感動しているのです。(了)

取材・文 林口ユキ 写真・長谷川美祈