出会った日が「運命の日」、一緒に暮らし始めた日が「家族記念日」。当事者(養親)インタビュー・前編

鈴木(仮名)さんご一家は父、母、高校1年生の長男の3人家族。2歳8か月のときに、特別養子縁組によって乳児院から迎え、家族になりました。以来、その日を“家族記念日”としてお祝いしてきたそうです。いま改めて出あったとき、そして家族の歴史をお話しいただきました。

プロフィール

 1964年生まれ。アメリカ留学を経て、市民運動へ。ごみの削減、リサイクルなどの環境対策事業のNPOを運営。19歳のときに「将来は養子を迎える」と決める。

 1960年生まれ。アフリカ音楽文化の紹介を通して社会問題を考える活動等に従事。保育士でもある。現在はFCPP(フォスター・ケア・プロモーション・プロジェクト)を通して、特別養子縁組の啓発にも取り組む。

19歳のときに「将来は養子を迎えよう」との思いが宿る

―特別養子縁組でお子さんを迎えたいと思われたきっかけは?

父 僕は19歳のときに、X染色体の数が1つ少ないことに由来する不妊症であることを告げられました。そのとき、「子どもが授からないなら、将来は養子で迎えたい」という思いが宿った。当時はアメリカに留学中で、「養子は普通のこと」という周囲の価値観も影響したかもしれません。サンフランシスコの友人宅に招かれたとき、「私たち、きょうだいよ」と東洋系やアフリカ系の肌の色の違う7人を紹介されました。「僕はアダプション(養子縁組)だよ」と説明する彼らの自然な姿から、「実子と養子が一緒に育つ家族が特別ではない」ということを感じました。

また、僕自身が母は日本人、父はアメリカ人で両親は3歳の時に離婚。12歳で母が再婚したステップファミリーでしたので、固定化された家族像には縛られていませんでした。母や祖父母たちもリベラルといいますか、それぞれの自由な考えを尊重する家でした。

母 「養子を迎える」ということに私も抵抗はありませんでした。私も結婚の数年前に子宮頸がんの検査手術を経験し、医師からは妊娠・出産は非常にハイリスクだと言われていました。妊娠できたとしても、6ヶ月くらいから流産を防止する処置をして、寝た切りの状態で安静にしなくてはならないでしょうと。

ただ結婚当初は、夫の不妊は昔の診断ですし、現在の医療では見解が異なるかもしれないので、一度は調べてみようということになり、泌尿器科の病院を訪ねました。夫の治療も「難しいけど全く無理ではない」とか、「他の人の精子を使った人工授精」など、選択肢はまったくのゼロではないことがわかりました。

でも二人ともが「やってみたいね」と、受け入れられるような治療には出会えませんでした。そうまでして「自分が産まなければ」とか、「自分の血を引く子でなければ」とは思えなかったのです。泌尿器科の担当医が「養子縁組という方法もある」と、どちらかと言えばその方法を勧めてくれた事も大きなきっかけとなり、結婚して3年目くらいに、「やはり私たちは養子を迎えたい」と動き始めました。

児童相談所にたどり着き、事実婚から戸籍上の結婚へ

―当時は情報を得ることが難しくはなかったですか?

父 2003年くらいでしたので、インターネットにも少ないけれど情報はありましたよ。調べていくうちに、自治体の児童相談所にたどり着き、二人で相談に出かけました。そこで素晴らしい担当の方に出会えたのです。

僕は当時から市民運動やNPO運営をしていましたが、「安定した会社員ではないことが養子縁組では不利になるかも」と心配しました。でもそれは杞憂でした。逆に、市民社会のあり方、格差の問題などを議論する中で、担当者も僕たちを好意的に捉えてくれましたし、社会的養護のしくみ、特別養子縁組に関する質問にも丁寧に答えてくれました。

僕らの担当者は「親担当」で、「子ども担当」の方が別にいらして、子ども担当の方に強い権限があるというシステムにも、子どもの人権がしっかり守られている印象を受けました。

―養子縁組を進めるために、何かハードルはありましたか?

母 私たちはお互い再婚でしたが、夫婦別姓を選択していました。でも、特別養子縁組は入籍している夫婦しか認められません。「別姓ではだめですか」と、交渉というか、お尋ねしてみましたが、籍が入っていないとそこから先に進めないということでした。

父 別姓がハードルになるなら、それは望むことではないので、戸籍上の結婚もしました。僕らはそこからのスタートでしたね。

―お子さんを迎えるにあたって、どのような話し合いをされましたか?

母 国籍、性別は問いません、なるべく年齢の低い子どもだったらうれしい、というようなお話しはしましたね。

父 妻は日本人と黒人のミックスでもかまわないという意見でしたが、僕は日本人と白人のミックスなので、できれば似たような見た目の子を迎えたかった。僕自身、見た目が日本人とは異なるせいで、過去に差別を受けたことがあったので……。その点は慎重でした。

でも今は、子育てを経験して視野も広がりましたので、もし2人目を迎えるなら、どんな人種の子でもかまわないと思っています。

―当時はどのような研修がありましたか? 研修で印象的だったことは?

母 当時(2003年くらい)の研修は、現在行われている研修より短く、3日くらいだったと思います。子どもの発達のことなども含めビデオ教材でも学びました。

父 施設を訪問したり、ディスカッションをしたりする機会もありましたね。養子縁組希望の夫婦や経験者4組~5組とかとディスカッションで“真実告知”の話題になったときのことを覚えています。

「真実告知は必要である」ということを、研修で聞く以前から「必要だし、大事なことだ」と思っていました。しかし、参加者の中には「真実告知はしない」とか「養子であることを知ったら子どもが傷つく」という方もいて、驚いてしまった。それは親のエゴではないかと思いました。

後になって、尊敬する乳児院の院長からも「真実告知は重要。告げないのは、親が嘘をついていたことになる」というお話をお聞きして、本当に腑に落ちました。子どもに対して誠実でありたいなら、そこに嘘があってはいけないと思います。

運命の日、彼の方からスーッと近づいてきてくれた

―研修を経て、認定を受けてからどれくらいでお子さんの紹介がありましたか?

父 外国人とのミックスのお子さんは受け入れ家庭が少ないという事情もあったようで、3ヶ月目にお声をかけていただきました。

母 ご紹介いただいたのは、割と年長のお子さんだったのですが、そのときは会うまでに至りませんでした。その後、12月になって“運命の日”がやってきました。

父 運命の日は12月20日。「縁組できるお子さんがいます」という電話をいただいたのは、妻がNPOの仕事で2月までアフリカに滞在している時期でした。2歳5カ月の男の子です。子どもには一人で会いに行ってはいけないと言われていましたが、乳児院では僕のことを積極的にコミットする父親だと思ってくれたみたいで、「一人でもいいですよ」と言われて会いに行きました。

夕方、施設を訪ねると、子ども担当の職員の方から「あの子ですよ」と。仲良しの男の子と一緒にご飯を食べていました。食べ終えて、二階の遊戯室に一緒に移動すると、職員さんに「一緒に遊んでください」と言われました。けれども僕は「どうしよう…」と、とまどってしまいました。正直言って子どもと遊ぶのはそんなに得意ではなく、どうやって遊んでいいかわからなかった。

そうしたら、彼が赤い消防車のおもちゃを持ってきて、「これで遊ぼう」ってスーッと近寄ってきてくれたのです。びっくりしました。それが、見えない壁を崩された“衝撃の出会い”でした。

―施設のお子さんの中には、男性を怖がる子も少なくないとお聞きしますよね。

父 乳児院は女性の職員さんばかりなので、子どもたちの多くは男性が苦手なのです。養親希望の父親が一人で来ることも稀です。それに、僕は体も大きいし、まあちょっと“コワオモテ”かもしれない。なのに、それまで大人にあまりなつかなかったという子が、躊躇なく寄ってきたので、周りの職員の方も驚かれていました。

一緒に遊びながら、「なんてかわいい子だ!」という思いがあふれた、運命の日でした。

息子さん(3歳) (写真:鈴木さんご提供)

一緒に暮らし始めた「家族記念日」を毎年祝う

母 その日、長いメールがアフリカのマリまで飛んできました。「僕はこの子と家族になりたい」と。私も彼がそう思える子に出会えたことがうれしくて、うれしくて。我が家は、彼が前向きだったらうまくいくなと思っていたので、安心しました。

父 本当は子どもとの面会に一人で行くのは勧められないのですが、1月に僕一人で再訪し、2月に夫婦揃って会いに行きました。

母 そしたら、すでになじんできた夫の隣にいる私の姿を見て、火が付いたように泣き始めたのです。そのときは保育士さんが「大丈夫よ」となだめて、別の部屋に連れて行ってくれました。その日は私も他のお子さんと遊んだりして、お互いに様子を見合いながら帰宅しました。

泣いてしまったのは、彼なりにいろいろなことが頭をよぎって緊張したのだと思います。これまでも、ご夫婦が訪ねてきてから乳児院からいなくなるお友達もいたと思いますし、何かを感じたのでしょう。

次の訪問からは、割と早いテンポで親しくなっていけました。新年度になると児童養護施設に移ることになるので、早速三人でお出かけしたり、お泊り体験をしたり。その後、3月に入って委託という形になり、我が家にやってきた日、その日が私たちの「家族記念日」となりました。手続きもほぼ滞りなく進んで、約1年後には特別養子縁組が成立しました。

ケーキ作りをする息子さん(11歳)と父(写真:鈴木さんご提供)

父 僕たちはこの「家族記念日」を毎年お祝いしています。息子からは、出会った運命の日のことを「もっと聞かせて」とせがまれたことも数回あります。僕はもちろん、少々ドラマチックに(笑)、話して聞かせました。

母 家族記念日はある意味で真実告知でもあるので、毎年お祝いしたり、出会いのことを話したりするのは、そのことを強調してしまうかな、と心配したこともありますが。

父 真実告知を強調し過ぎる、ということになってしまうかもしれませんね。でも、息子が出会いの話を聞きたがってくれるのは、いまが安定した関係だからいいことなのかな、と思っています。

(子どもを迎えてからの日々は……後編へ続く

(文・林口ユキ 写真・長谷川美祈)