「血縁」ではない「縁」を感じながら、愛情を注いでいる【前編】赤ちゃん縁組で二人の子ども迎えて

赤ちゃん縁組とは、事情があって育てられない生後すぐの赤ちゃんを、特別養子縁組を希望する里親に委託する新生児里親委託のこと。愛知県(名古屋市を除く)では30年以上前から取り組んでいます。この赤ちゃん縁組で4歳と2歳のお子さんを迎えたのが渡辺さんご夫妻です。幼児子育て真っ最中の賑やか家族団らんにおじゃまさせていただきました。(後編はこちら

プロフィール

渡辺夫妻 40歳代 愛知方式の新生児里親委託で2013年12月に長女(4歳)、2016年3月に長男(2歳)を迎えた4人家族。

二人で住むには、この家は広すぎる

―特別養子縁組でお子さんを迎えることになったいきさつをお聞かせください

父:31歳で結婚して、36歳くらいまで4年間ほど不妊治療を続けました。なかなか授からず、精神的にも肉体的にも負担が大きくなっていくなかで、妻とは「もうやめようか」という話が出てくるようになりました。

母:智美さん

母:「将来は子どもが欲しい」なんて強く望まなくても、自然にそうなるものだと思っていました。不妊治療に望みをかけてがんばっていましたが、つらい日々が続き、「子どもはいなくてもいいのかも……」と考えたこともありました。

父:この家、結婚して早々に買ったんですよ。最初は二人でアパート住いでしたけど、結婚も遅めだったので、先延ばしにするとローンも返せなくなると思って探したら、たまたま良い物件が見つかって。

引っ越しはスムーズでしたが、不妊治療はうまくいかず、「夫婦二人で暮らすのもいいかもしれないね」という話をするようになりました。でも、せっかくのこの家がもったいないなと。二人で住むには広すぎましたから。

母:そんな頃、特別養子縁組という制度があることを知り、自分でもいろいろ調べるようになりました。テレビで特別養子縁組家族のドキュメンタリーを観たり、インターネットでも体験者のブログを読んだりして参考にしました。

「愛知方式」と呼ばれる新生児里親委託のことも調べて「赤ちゃんのときから育てられる方法があるんだ」ということを知り、少しずつ養子を迎えることに気持ちが向かっていきました。体力のことを考えると、なるべく早く子育てをしたいと思い始めました。

父:力さん

父:そう、二人の話し合いが「自分たちの子どものことをどうするか」というより「子育てをしたい」という方向性になってきたのです。私も妻も、親戚の子、友達の子、町を歩いている子たちが好きで、「どんなお子さんもかわいさに違いがない」というふうに映るのですよ。そこらあたりに歩いている子どもたちが、みんなかわいいい(笑)。

そんな私たちにとって、血がつながっているかどうかは、あまり関係ないのかもと思えました。不妊治療の終盤に差し掛かったとき、夜な夜な二人でそういう会話をしていましたね。

母:3回目の体外受精の結果が出たら、これを区切りにするつもりで、児童相談所の里親登録、民間の養子縁組あっせん団体の講習会などにも参加するようになりました。

祖父母たち、それぞれの思い

長女のアルバムには祖母、曾祖母との写真も

―お子さんの祖父母にあたる、お二人の親御さんどのようなご意見でしたか?

母:私は母だけが健在なのですが、私たちが不妊治療で苦労していることは気がかりだったと思います。「特別養子縁組を進めている」と伝えたら、反対はしなかったけれど「でも、あなたがそんなことできるの?」と心配はしましたね。「話し合って決めたことだから」と説明したら、納得してくれました。

今は賛成どころか、すごく子育てに協力してくれています。孫育て、ですよね。母のサポートのおかげで、二人の子育てができています。

父:私の両親からは「40歳くらいまでは不妊治療をがんばってほしい」と言われていました。40歳まで治療を続けるほど、心は強くないですよ。その後、母は亡くなってしまいましたが、未だに父は、反対ではないけれど、黙認という感じです。

父の心情は、よくありがちな「血のつながりのない家族が認められない」というものではないのです。実は、父も養子でした。親族から引き取られて育てられたのです。そのことを55歳になるまで知らされていなかった。いろいろな葛藤を抱えているのだと思います。

とにかく、養子縁組も私たちの年齢が高くなればなるほど、ご縁が遠のくかもしれない。当時は運よく私も残業が少ない部署でしたので、夫婦でしっかり話し合う時間があり、研修会や講習会にも積極的に参加できました。

振り返えると、私たち夫婦にとっては、重大な決心をして里親登録をしたというより、夜な夜な話し合いながら、自然な流れのなかで養子縁組にたどり着いたという感じでした。

子を迎える意味が明確になった

壁には子どもたちの絵がたくさん飾られている

―お子さん二人とも愛知県の児童相談所から縁組されているのですね。

:愛知県の児相で「養子縁組を希望する里親」の認定に向けて研修を受けました。研修は4月から始まり、8月くらいで終了。里親認定されたのが10月の終わりでした。この間、長年にわたって愛知方式で親子を結んできた社会福祉士の矢満田篤二さんとの出会いが、私たちにとって大きなことでした。

矢満田さんはシンプルに「生まれてきた命はかけがえがない」と言います。そして「どんな事情を抱えていても、病気や障がいがあっても、民族が異なっていても、その命には差がない。同じ命だから、それを守ることが私の務めです。ですから、育ての親になる方には、子どもを選ぶことはできません」と話してくれました。

特別養子縁組を支援する方から、こうしたお話が聞けたことで私も考えが固まりました。自分たちが子どもを迎えるということの意味が明確になり、そのことに自信を持つことができたのです。

母:認定されてほどなく、「12月に生まれるお子さんがいます」と連絡をいただきました。私たちはその日のうちに「お願いします」とご返事しました。

予定日まで1ヶ月ほどの間にベビー用品を揃えて、心待ちにしていました。予定日より1週間遅れて生まれてきた赤ちゃん。児相の担当者も私たちも生まれてすぐに対面できて、抱っこできると思っていました。ところが、ここで産みの女性のお気持ちが揺らいでしまったそうです。いったんは待つことになりました。

そして生後5日目、やはり私たちに託すという決断をされたとの連絡を受け、産院に行きました。

赤ちゃんを託された責任の重さ

母:そこで初めて長女を抱っこしました。「ようやく私たちのところに来てくれた」という思いがあふれ、うれしさで自然に涙が出てきました。「なんてかわいい!」という気持ちでいっぱいになりながらも、産みの女性が迷われたということがあったので、なおさら責任の重さも感じました。

父:子どもはみんなかわいいですが、この子は特別、びっくりするくらいかわいかった。胸に抱っこして「私もこんなことをさせてもらえるんだ」と感激しましたね。

母:病院には私の母も何か手伝うつもりでついてきてくれました。ありがたかったのですが、出産したわけではないので、体力もあるし、親の手は借りずに育てられると思っていました。ところが……。

実は、自分でも意識できないくらい気が張っていたみたいで、ホッとしたのか、ものすごく頭が痛くなってきてしまって。結局は赤ちゃんと一緒に実家に里帰りしたのです。実家で横になって、授乳とおむつ替え。その他は母にお任せして、結果的にまるで産褥期のように2~3週間を過ごしました。

愛知の児相では、赤ちゃんを委託した家族と児相の職員さんたちが集まって『委託式』が催されます。我が家も1ヶ月を過ぎた頃に開いていただきました。「赤ちゃんを迎えられて、おめでとう」と、みなさんでお祝いしてくれます。喜びで胸がいっぱいになりますし、「いっしょうけんめい育てていこう」という気持ちを新たにできる機会です。

この委託式には、いまでもたびたび先輩ママとして参加させてもらいます。ほんとうに、「おめでとう、私もうれしい」と、ほっこりとした気持ちになる、素敵な催しなのです。

育児日記には毎日のミルクの時間、量などがびっしり書きこまれている

父:実は、長女が我が家に来てから、私は4カ月後に静岡に転勤になってしまいました。部署の上司には養子を迎えると言ったはずでしたが、上に伝わっていなかったらしく。それでも週末ごとに帰ってこられる距離だったのでよかったです。

母:そんな事情もあり、うちの母が週に1度は来てくれて、「私が見ている間、整体に行ってきなさい」とか、世話になりっぱなしでしたね。

愛情の「恩返し」ができたら

お手伝いをする長女

―その後、お二人目を迎えることになったのですね?

母:上の子の縁組が成立した後、児相には「二人目も迎えたい」という気持ちを伝えていました。お話があったのは、長女が2歳3カ月のとき。すでに生まれている子で、生後12日目に迎えにいくことになりました。名前を決めるのも大急ぎになりましたね。長女も一緒に家族3人で迎えに行きました。

長女は、その時点でどこまでわかっていたか定かではありませんが、赤ちゃんを迎えに行ったことを通して「自分もこうして迎えられたこと」を感じたと思います。

父:私たちは二人目が来てくれるのを望んで待っていましたし、親を必要とする子がいるなら、一人で終わらせてはいけないという気持ちもありました。うちに来てほしい、そしてそれは自分の役目でもある、という両方の思いです。

次男を迎えた日のアルバム

役目、なのですね?

父:自分の役目だと思うのは、こうしてこの子たちを育てているのは、養子として育った父から受け継いだ「縁」だと思うからです。父は養子であることを知ったのが遅すぎたし、そのこともあって、十分に愛情を受け止めることができなかったのかもしれない。

だからこそ、私がこの子たちに、できる限りの愛情を注ぐということが、意味のあることではないかと思うのです。私は宗教心がある方ではないのですが、血縁ではないけれど、ご先祖からのつながりというものを感じています。養子として育った父に育てられた私が、その恩返しができるとしたら、それは素敵なことだ。そう思っています。

後編へ続く

(文・林口ユキ 写真・長谷川美祈)